Web版 組織開発ハンドブック

ソーシャル組織開発

【講演録】「コロナによってステークホルダー主義はどこに向かうのか」渋澤健氏、銭谷美幸氏他(第15回GEI有志会)

第15回グローバル・エンゲージメント・イニシアチブ有志会は、「コロナによってステークホルダー資本主義はどこに向かうのか」をテーマに、2020年5月20日に以下のメンバーで公開意見交換会を行いました。

パネリスト:
渋澤 健 氏(シブサワ&カンパニー代表取締役、コモンズ投信会長)
銭谷 美幸 氏(第一生命ホールディングス㈱経営企画ユニット部長 兼 第一生命保険㈱運用企画部部長)

モデレーター:
黒田 由貴子氏(㈱ピープルフォーカス・コンサルティング取締役・ファウンダー)

以下に、パネルディスカッションの概要をご紹介いたします。
なお、この会合で述べられたことは、それぞれの個人的な意見・見解であり、所属組織や団体を代表する意見ではありません。

コロナによって、ステークホルダー資本主義は加速化するのか、後退するのか?

黒田:最初にステークホルダー資本主義について触れる。2019年8月に、米経済団体ビジネス・ラウンドテーブルが「米経済界は株主だけでなく従業員や地域社会などすべての利害関係者に経済的利益をもたらす責任がある」とする声明を発表した。年が明け、今年の1月下旬に開かれた第50回という節目を迎えた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)では、「ステークホルダーがつくる、持続可能で結束した世界」がテーマに掲げられた。そして、今年の1月31日の日経産業新聞には、「『ステークホルダー資本主義』は、昨年あたりから国際的な流行語にすらなっている観がある」とあった。しかし、これらはすべてビフォー・コロナの話である。

そこで、まず、ずばりコロナによって、ステークホルダー資本主義は加速化するのか、後退するのかを問いたい。

新聞、雑誌などでは、コロナによってステークホルダー資本主義は加速化するのだという論調をよく見かける。しかし、経済が成長し、財源が増えている限りにおいては、その増えた分をステークホルダーに幅広く還元しようという話はしやすいし、反対する人も少ない。一方、儲けのパイが限られるときは、優先順位をつけていかなくてはいけない。

自分自身、数社の上場企業の社外取締役を務めており、来月に株主総会が控えており、配当金や役員報酬、雇用の維持などについての議論の最中である。トレードオフの議論にならざるを得ない面がある。

世界の機関投資家らが「配当より雇用維持を」と言っていると聞くが、それは近い将来に経済が動き始めたときの働き手を確保しておく必要性を重視しているからであって、従業員のためを思って言っているわけではないのではないか。その証拠に、米国では、従業員が職場でコロナに感染しても雇用主は法的責任を問われなくする法案を検討中という。従業員のウェルビーイングはどうでもよいと言っているに等しくないか。これでは「ステークホルダー資本主義」とは言えないのではないか。

コロナの時代に、ステークホルダーはどのような優先順位になるのだろうか?またはどうあるべきか?

銭谷:今回のコロナ禍による株価暴落や景気後退と10年前のリーマンショックのそれとは全く違うと考えている。昨年、ステークホルダー資本主義が出てきた背景として、世の中が企業に求めるものが変化してきていることがある。特に海外では、どの企業で働くか、どこの企業のものを買うかなどといった企業の選択において、価値観が変わってきた。そして、多くの日本企業もSDGsを取り入れたブランディング活動やIR活動を行っているが、今回のコロナ禍は、その実態が露呈する機会となる。10年前のリーマンショックのときのようにCSR活動が萎んでしまうのか否か、各社に目が注がれている。国内では、労働人口が減っていく中、働き手による企業の選別が進む。また今の時代、SNSなどで情報が飛び交っており、企業の実態を隠し切れない状況にある。

総じてステークホルダー資本主義が後退することはなかろう。しかし、実際に、資金繰りなどで企業が痛んでいるのも現実であり、目先の動きとして、正社員は守るが、非正規社員は契約解除するということも起きており、楽観的なことは言えない。

一方、海外のグローバル企業を観ていると、事業戦略に本気で取り組んでいる企業ほど、コロナ対応は自社のビジョンを明確に示す機会だと捉え、様々な対応をしている。ゼネラル・モーターズをはじめとして自動車会社が人工呼吸器を作ったり、ラグジュアリーブランドのLVMHがマスクを作ったり、化粧品会社のロレアルが消毒液を作ったり等といった例がある。いずれの企業も、トップ自らが会社のホームページのトップページでコロナ対応にどう取り組むかを表明している。中国の電気自動車メーカーを傘下に持つBYDグループ企業でもマスク生産をいち早く表明し、今や世界のトップのマスクメーカーとなった。

更に注目すべきは、こうした各企業による対応のプレスリリースの日付が3月中旬であることだ。日本で緊急事態宣言が出されるより前に、既にこうした企業が対応を始めていたということであり、日本企業の動きと比べてスピード感が全く違う。日本企業は、コロナ禍に際し自社の在るべき姿を明確にするスピード感の遅さを認識すべきである。

黒田:海外の企業と日本企業の対応の温度差については私も気になっていたところで、4つ目の論点として後程改めて掘り下げたい。

渋澤:我々が問いかけるべきは、「ステークホルダー資本主義を加速させたいのか、あるいは後退させてよいのか」ではないかと思う。ステークホルダー資本主義は最近話題になった言葉ではあるが、まずは原点から考えたい。約500社の会社を創設し資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、1873年に最初の銀行を作った。当時は、銀行という存在がなく、ベンチャー企業のようなものだった。そこで、渋沢は銀行のことを次のような例えで説明した。「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やぽたぽた垂れている滴と変わらない。。。折角人を利し、国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない。」つまり、お金という資源が少額に銀行に集まり、それが小さな流れとなり、その小さな流れが他と合流していけば大きな河になり、大きな原動力になるというイメージだ。日本の明治、大正、昭和では、国民のお金が一滴、一滴と銀行に集まってきて、産業発展を支えたという構造があった。我が国の資本主義の原点はここにある。資本主義の目的は格差を生むことではなく、今日より良い明日を実現させる成長性ある事業のためにお金を集め循環させることである。

では、散らばっているもの(滴)がなぜ1つのところに集まってくるかということだが、共感がないと集まってこない。約20年前、自分は某大手ヘッジファンドに勤めていたが、ヘッジファンド業界は「利益を出してほしい」という共感のもと、富裕層のお金が集まり生まれたもの。今日のこの会も、皆さんは「コロナでステークホルダー資本主義はどうなるのか」という共感のもと集まっている。つまり、「共感」は散らばっているものを同じ場所に集める力があるのである。

もう1つ、「共助」という大切な概念がある。「共助」とは、お互いで不足していることを補うことである。そうすると、足し算ができる。さらに、その先には「共創」という掛け算がある。

渋沢栄一は資本主義の父と呼ばれているが、実は本人は「資本主義」という言葉は使っておらず、「合本主義」という言葉を使っていた。「共感」によって寄り集まって、「共助」によってお互い補い、「共創」するというのが、渋沢栄一が目指していた合本主義、すなわち資本主義だと思う。

渋沢栄一は株主を否定していたかというと全くそうではない。ただ、価値を創るには経営者が必要で、社員も取引先も顧客も、また安心して商売できる社会も必要である。こういった様々なものが集まって価値を創るのである。なので、合本主義を英語で表現するとStakeholder Capitalism(ステークホルダー資本主義)だと自分は考えている。4,5年ほど前に、ハーバードビジネススクールで渋沢栄一の思想を議論する学会があったが、そのときもStakeholder Capitalismという言葉を使った。

つまり、ステークホルダー資本主義は新しい概念ではない。日本において経済社会が近代化した原点なのである。

今回のテーマだが、ステークホルダー資本主義は続くか続かないかという問題提起ではなく、日本人としてステークホルダー資本主義を続けたいのか、という問題提起がコロナによってもたらされていると考える。

また、誰しもが感染したくないので、Me(自分)を大事にすることで安心安全が得られるかもしれないが、Meだけの生活は楽しくない。たとえばこうやってオンラインで集まったりするのも、Weがないと楽しくないから。それを資本主義に当てはめれば、株主だけでもなく、経営者だけでもなく、We(皆)が満たされた生活を送ることができるのが大切だと思う。

コロナ危機に対応しつつ、2030年までにSDGsを達成できるのだろうか?

黒田:コロナによってステークホルダー資本主義を本気で追求するかが正に問われているというのがお二人の共通のポイントだったと理解した。では一体、日本の上場企業数千社のうち何割がステークホルダー資本主義に本気なのだろうかが気になるところではある。

さて、コロナ禍は長期化しそうで、経済が戻るには2年か3年はかかるのではないかと言われている。そうこうしているうちに2030年がやってくる。2030年といえばSDGsの最終年度である。コロナが起きる前から、SDGsを2030年に達成するのは難しいと言われていたが、コロナによって、益々ゴール達成は遠のいたのではないかと思われる。もちろん、SDGsの目標3には、感染症のワクチンを世界に届けるというのが含まれているが、一方では、目標3の一つをとっても、マラリアや顧みられない熱帯病や乳幼児の高い死亡率といった、コロナに匹敵するくらい深刻な問題が途上国にはある。また、アフリカで飢餓問題も起きている。今、世界中の資金がコロナ対策に振り向けられていて、こうした途上国の問題はどうなるのだと不安に思うのだが、コロナ危機によって、SDGsはどうなるのだろうか?

銭谷:SDGsで大事なことは、17項目は互いに関連しているということと、「誰一人取り残さない」とされているところである。コロナでも、特に被害を受けているのは低所得層であったり、ジェンダーの問題がからんでいたりということがある。コロナによって、SDGsで挙げられている問題について改めて考えさせられた。

また、コロナによって事業活動を止め、人々が外出しなくなったことで、どういう影響を空気や水に与えたかがESG業界で話題になっている。1つの例として、こちらの写真が示すのは、数十年ぶりにインド北部から見えたヒマラヤ山脈の姿。インドはPM2.5汚染がひどく様々な問題が起きていたが、ロックダウンで空気がきれいになった。また、今まで見たことのないような透明なガンジス川が現れたことも話題になっている。インドほか途上国では、事業活動をしないことが健康にはプラスになるということを人々が実感していると思われる。環境問題を数値上のことではなく、実際の問題として一般の人々がリアルに実感できるようになった。ゼロサムで選ぶような問題ではないので、ロックダウンを続けるわけにはいかないが、かといって元のように戻りたいか?ということを人々が実際に考えるようになるという意味で、今回のコロナのインパクトは大きいと思う。

また、ESG投資の業界において、昨年前半までは、ESG投資のパフォーマンスに関して疑問の声が多く聞かれた。しかし、今回コロナの発生後、ESG関連指数が、他の市場の指数と比較して、下落度合いが少なく、良好なパフォーマンスを示している事が証明された。ESG投資への関心が高まっていて、今後、より多くのお金がESG投資に流れていく可能性が高い。

したがって、これまで2030年までのSDGsの目標達成は難しいと思っていたが、環境問題に関しては、コロナによって達成への機運は高まったとみている。

渋澤:これも、SDGsが達成できるか否かではなく、SDGsを達成したいのか否か、ヒマラヤ山脈を見たいのかどうかという問いが大事だと思う。また、SDGsの前身にはMDGsという8つの目標があり、感染症に関していえばエイズ、マラリア、結核を制圧するという目標が掲げられていた。MDGsからSDGsに代わるときに、MDGsの関係者は「8つの目標すらまだ達成できていないのに、なぜいきなり17の目標か」とざわついた。しかし、自分は2015年にSDGsを見たときに、直感的にこれは良い流れだと感じた。MDGsは、日本の一般市民にとっては馴染みがないものだった。なぜなら、MDGsは、先進国から途上国へ、政府間、そして専門家によるものという世界だった。しかしSDGsのSのサステナビリティは途上国だけでなく、先進国でも考えなければならない問題である。また17もの目標、そして169のターゲットがあり、いわばグランドメニューなので、政府やNPOだけでなく、企業も個人も参加できるものとなっている。

実際、今、SDGsバッジを付ける人が増え、企業も統合報告書でSDGsを語り、認知度は高まった。ただ、それはかっこつけているだけなのかは問われる。2030年に向けて 今、SDGsの本番が始まったと考えている。

どのように格差問題は是正されるべきか、あるいはされるべきではないのか?

黒田:SDGsの目標がどこまで達成できるかはさておき、方向性としてはお二人とも前向きなご意見であった。自分自身もそうあってほしいと思うが、日本では東日本大震災のときに原発の事故で、火力発電に回帰することとなった。それから10年近くたった今も基本的にそのままの状態が続いている。あれだけ痛い目に合いながら、原発も続けている。むしろ、福島から遠く離れたヨーロッパのほうが、脱原発や脱化石燃料が進んでいる。なので、今回もコロナによって日本社会は本当に変わるのか心配ではある。

次に格差問題を伺いたい。コロナも自然災害も等しくすべての人に降りかかるのだが、被害が深刻化するのは脆弱な立場の人たちである。アジアではなぜか死者が少ないが、少なくとも欧米ではコロナの死者は圧倒的に低所得層が多く、コロナで格差問題がより一層浮き彫りになったのではないか。

一方で、格差問題を解消させるのは大事でありながらも、資本主義では競争して勝ち負けがあるから活力が保たれているということも言える。所得格差は是正させるべきか否か、是正させるとしたらどのようにすればよいだろうか。

渋澤:所得格差は縮めなくてはいけないが、格差が悪とは思わない。イノベーションはある意味で格差を作るものである。広がりすぎたところで、縮めるための新たなイノベーションが起きる。格差が広まり縮まり、また広がり縮まり、というのが正常な経済社会だと考えている。問題なのは、格差が広まったままで固定されている状態である。また、格差が全くない社会というのも、それは気持ち悪い。

コロナ禍における最大の危機は、世の中が安心安全安定を求めるあまり、何でも政府に「決めてください」という意識になってしまっていることだ。監視社会、全体主義に流れる恐れがある。強烈な独裁者がいなくとも、今のIT技術で国民の監視はできてしまう。日本人が困るのは自由にどうぞと言われること。「席はご自由に」と言われて、皆、どこに座ったらよいかわからなくて困ってしまう。

ベーシックインカムのようなものが理想かというと、自分はそうは思わない。魚を与えるのではなく、魚を捕るスキルを教えるほうが大事と言われる。もちろん、緊急事態では援助は必要だが、緊急でないときも、何でも政府に決めてもらい、政府に面倒を見てもらうことが普通になってしまう社会になってはまずい。

銭谷:今回、政府が10万円を配ることになったが、これに一番反応したのは中国。共産圏である中国は10万円配るということはしていないのに、日本は社会主義になったのか?と。日本は昔から島国であり、村社会、横並びを重んじるといった側面も否定できず、それが、渋澤さんが懸念として挙げられたことの要因であると考える。第二次世界大戦のときに、日本国民が大本営発表ニュースに倣ったように、政府から自粛だと言われ、”自粛警察“も生まれ、皆が自主的に従っているような状況だと受け止めている。

格差は日本では海外ほど大きくないが、グローバルではリーマンショック以降、格差が広がっている。アメリカでは、もはや昔のようなアメリカンドリームは難しい状況だ。アメリカの大統領はお金持ちのファミリーから出ているし、格差は何とかすべき大問題である。

その策として何かアイデアがあるわけではないが、今回の10万円の給付金で、ベーシックインカムの議論の素地はできたように思う。

渋澤:リーマンショックの後、金融緩和というレバーが入った。金融緩和というのは格差を生むのではないか。今、大規模な金融緩和がなされて、株価が戻ってきている。自分は経済の専門家ではないが、所得格差の是正と金融緩和は矛盾しているのではないかと問いたい。

黒田:今の意見に関連して、参加者からチャットボックスにご意見が寄せられているので、代読する。「格差是正や所得再分配は企業の機能ではなく国や行政が担うことではないか。そして、国や行政は企業や国民から税金を得ているが、個人的には資産税が有効ではないかと考える。税金というとフローの部分の課税という議論にすぐなるが、資産(流動資産+固定資産)に課税してはどうか。」格差是正の対策として資産税というアイデアについてどう考えるか?

黒田:企業の内部留保への課税という話は今までもあった。コロナになって、やっぱり手元に資金を持っておかねばというメンタリティになり、企業が一斉に資金を抱え込んでいる。日本企業はただでさえ資金を抱え込みすぎと言われていた。現金を動かすことを税金で促すというのは1つの手段になりうるのかもしれない。

銭谷:どこに課税にするかは難しい問題だが、最近流行っている「ふるさと納税」のような仕組みをもっと活用できないか考えている。政府が財源を正しく分配できているかというと、そうではないと思っている人が多いはず。特に若い世代への分配はできておらず、だから日本は少子化が進んでいるとも考えている。教育投資も海外に比して少なく、土木関係ばかりに税金が使われている。将来世代への分配を政府がやらないのであれば、企業や個人がそれをすることにインセンティブが付く仕組みがあるとよい。

渋澤:個人の金融資産が総額で1000兆円もある国で、iPadやwifiを持っていない子供がたくさんいるというのは不思議な話だ。

コロナ禍に対して日本企業はどう貢献すべきか?

黒田:最後の論点に移る。東日本大震災のときと比べて、あるいは銭谷さんがおっしゃっていたように今の欧米企業と比べて、コロナ危機に対する日本企業の貢献が少ないように見える。東日本大震災のときは、各社が本業を生かして被災者支援や東北復興において活躍した。事業で貢献しなくとも、日本の横並び主義も手伝って、一斉に各社が1000万円なり数千万円なりの寄付をした。日本のコロナの被害はさほど大きくないという理由があるのかもしれないが、世界ではこれだけの被害が出ている中、グローバルに商売している日本企業として、渋澤さんの言葉を借りればMeだけが良くてよいのか。コロナ禍に対する日本企業の貢献の在り方について、どう考えるか。

銭谷:東日本大震災のときは、被害がある程度“地域限定”であったことから、被災地域以外からの支援が可能であった。ところが、今回は日本全国皆が大変な状況に陥っており、「他の人のことをかまっている場合ではない」という声を聴く。自分が子供の頃、あるいは親の世代の日本には、困っているときほど助け合って頑張ろうという雰囲気があったのに、今それがなくなってしまったのが不思議であり残念でもある。昔からあった“三方良し“の概念は、今や口で言うだけの人が少なくない。

しかし、若い世代はそうではない。自分のスキルを活用して大企業を退職してまで支援活動に励む人が多くいる。また、日本企業は海外と比べ、経営層の年齢層が高いので、もっと若い世代の意見を取り入れるとよいのではないか。

最近、投資家の間で話題になった企業の一例として、4月9日に決算説明会を行ったIT関連企業のSHIFT社(マザーズ上場 3697)を紹介する。その説明会資料では、最初にコロナ対応に関する説明があり、その後、前年から取り組んでいる人財関連の取り組みに関して説明がある。IT企業では如何に良いエンジニアを採用できるか、定着させるかが鍵であり、その点で説明を見る限りは成功しており、事業成績も好調の様子であった。

この企業に限らず、企業にとっては、良い人材を確保し、リテンションするのが最も重要なことだと考えている。そして、今回、誰よりも従業員が自社のコロナ対応を気にして見ているように思える。対応できていない企業には今後ボディブローのように効いてくると考える。

渋澤:日本企業による貢献ならびに今後の繁栄のためには、絶対使ってはいけない3つの言葉があると考えている。その3つとは、「前例がない」、「組織に通りません」、「誰が責任取るんだ」。今回のコロナに貢献できていないのも、この3つの言葉に阻まれているからではないか。

また、日本企業の中でも、他社に先駆け自社のテナントに家賃免除をした丸井のような会社もある。丸井では、元来、経営トップがSDGsやファイナンシャル・インクルージョン、共創という言葉をよく使っているが、言うだけでなく本当に考えて実行しているのがよくわかり、感激した。ステークホルダー資本主義を信じ、実現にコミットしているトップがいるどうかで差が出る。

黒田:参加者からのチャットボックスの書き込みを代読する。「今の日本企業は外向けでなく社内のことが対応できていない。従業員の時給制の補正をしないとかサプライチェーン上の取引先が潰れるのを放置するといったことが起きている。」

銭谷:先ほども申し上げたとおり、足元のことができていないと従業員や取引先からの会社への信頼を失うことになる。共創するにも、お互いの信頼感が必要である。信頼構築には情報開示が大事だ。従業員に対して、会社も情報をできるだけ開示し、危機感を共有し、経営者が色々と考えていることがわかれば、「そういうことなら我慢しよう、協力しよう」と落としどころが見つかるはずである。たとえば一時解雇したとしても、後日再雇用を約束するといった方法もある。その情報共有の仕方が乱暴になってしまっているケースがあることに危惧する。

渋澤:自分は日本の大企業に勤めたことがないので実体験がないが、先ほど銭谷さんがおっしゃった村社会文化が日本の会社の中にもあると思う。1つの会社の中でも、部署ごとに村ができていて、目の前の仕事は最適化するが、他の村(部署)のことは見ない。コロナ禍でもステークホルダー資本主義を貫いている会社とそうでない会社の違いは、丸井の例で見たようにトップの存在が大きいが、そのトップの想いが会社に浸透しないといけない。そこではインナーコミュニケーションが鍵である。社内で他部署と対話し協力することを促進する企業文化や社内制度を作っていくことが大事である。

丸井でもう1つ印象深いことを紹介する。自分は他の投信会社の経営者と共に、丸井での中期経営計画会議に参加したことがある。普通であれば、そのような経営会議の場では、経営陣だけが参加するものだろうが、丸井では300名が参加できる会場が用意された。誰でも参加可能にしようとしたら希望者が300名以上になってしまったので、事前に、参加希望者に経営計画に関するテーマに沿ってレポートを提出することを求め、そこから参加者を選抜したそうだ。その結果、ある店長は参加できず、部下の店員ができたということが生じた。このように会社の状況の共有と対話の仕組みを構築することは大事だと思う。

さらに驚いたのは、会議が終わって1,2時間たったときに会場を覗いたら、まだ会場に残り、自分の仕事とは直接関係ない新規事業についてわいわいがやがやと話し続けている社員たちがいたことである。これはすごいと。一度は地獄を見た青井社長が村社会を打破する努力を重ねて、進化した企業の姿がそこにあるのだろう。

黒田:何においてもトップのリーダーシップが大事とよくいわれるが、社員からも自由な発想と主体的な動きが出てくるようなリーダーシップがもっと大事であり、そのためにインナーコミュニケーションが鍵だと理解した。

参加者1:考えれば考えるほど、コロナ後は元に戻るのではないかと思うに至った。先ほど出ていたように、日本は原爆を2回落とされて、福島原発の事故があってもなお、結局何も変わっていない。それと同じように、コロナでも何も変わらないのではないかと暗澹たる気持ちでいる。コロナも災害も自然現象である。そして人間は動物であり自然現象の一部である。ところが、今の経済社会では、人は死なないし、風邪もひかないし、満員電車に詰め込まれても出勤するし、という前提で、人間を動物として扱っていない。人間は自然のものではないというフィクションをどこかでリセットしないと、自然のものに対応するのは無理ではないか。とても根が深い問題で、リーマンショックやコロナショックくらいではびくともしないのでは。大きなところから考えないと経済社会は変わらないと考えている。

参加者2:環境問題をやっている人間から言わせると、コロナはどういう問題かと言えば、人間の活動がここまで拡がってきて、様々な動物や生物がいる領域にどんどんと出てきてしまいインターフェースが広がったところで、未知のウイルスに接したということ。つまり、自然に対する人間の活動自体が大問題であり、そこを解決しない限り、いくらワクチンを作っても、次のウイルスが出てきてもぐら叩きになるだけという議論をする人もいる。コロナを一過性のものと捉え、ワクチンができればもう終わりと捉えるのであれば、ステークホルダー資本主義に戻れるのかもしれない。しかし、自分の直感で考えると、今回のことは、人間活動が大きくなりすぎて、頭にきた地球が好き勝手やっていた人間の動きを止めたということだと思う。「いい加減にしろ」という地球からのメッセージ。このメッセージを受け止めなければ、次にはもっと地球に怒られるのではないか。

ある調査によると、地球において重量ベースで、哺乳量のうち人間は32%、家畜60%、野生動物はたった4%。そこまで人間がのさばっている。これだけバランスの悪いことをやっている人間への警告である。コロナをそのような問題だと捉えるか、一過性のことだと思うか、経営者の捉え方にはすごく幅があり、今後様々な動きが出てくると思う。そうした動きをうまくコーディネートし、サステナビリティに向かわせる仕掛け、ロジックといった努力が必要になってくる。お二人のパネリストには投資家として企業を説得してもらうことを期待している。

黒田:ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」によると、紀元前1千年以上前にホモサピエンスは農耕社会になり、農耕社会は多くの生態系を破壊し、人間社会にとっても良くないことが起きるようになったという。では、紀元前何千年前かの狩猟民族に戻らなくてはならないのか。そういうわけにいかないとなると、今の社会の中で環境破壊を止めるということがせいぜいできることなのだろうか。

参加者2:今までやってきたことを反省し、どうしたらよいかを考えろということだと思う。もちろん経済が落ち込むと苦しむ人がいて、人間社会の都合の中だけでも問題がある。政治家は人間社会の都合だけを気にしがちだが、人間と自然社会とのことも考えねばならない。

渋澤:人類は地球にとってがん細胞。他の細胞には構いなしで成長していく。感染症は起こるのは人類の冒涜といえる。たとえば、鳥インフルエンザは豚から人にうつっていった。なぜ鳥と豚と人間が同じところにいるかといえば、それは人間の仕業である。こうした問題に気づく人と気づかない人に分かれるが、変えねばと思う人が少なからずいるはず。そうした人たちが次の時代を作っていくことを、投資を通じて後押ししたい。

自分は2年半前から官民連携のインパクトファンドを立ち上げたいという若手たちを手伝っている。社会的インパクトという新しいお金の流れを作ろうとしている。社会的インパクト創出を意図とし、そのインパクトをきちんと測定し、持続的に続かせるために経済的リターンを求めるものとする。お飾り的なインパクトファンドも出てきているので、どういうインパクトを出すのかを見るのが大事である。

特にESGのうちGは、社外役員の数とか女性役員の数など数値化しやすい。EもCO2排出量などと数値化しやすく、「やっている感」を出しやすい。Sは数値化しづらく、企業としても取り組みづらかった。しかし、今回の体験で、Sがまわっていないと、経済に相当なネガティブなインパクトがあることを全ての企業が実感したはず。

確かに、放っておくと、コロナ後は元に戻ってしまう。しかし、我々としてはそれでいいのか。スペイン風邪のモニュメントみたいなものは殆ど存在していないそうである。なかったことにしようになっている。コロナもそれでよいのかが問われる。

銭谷:日本が災難をすぐ忘れてしまうことは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言い回しに現れている。日本は自然の中に生きていた歴史があるからではないか。台風や地震などの災害に見舞われ、そのトラウマを乗り越えない限り前に進めないので、そのことを忘れるというのが日本人の中にビルトインされているのではないか。

また、明治維新、第2次世界大戦後の復興など、日本が大きく変化し、その後成長を遂げられたのも、既存の層がいなくなったから。日本においては、既存の世代が退かない限り新しく生まれ変われないことを歴史が示しているように思う。日本では、多くの大企業の経営層が高齢シニアで、過去の高度経済成長期の成功体験を持った人たちである。新しく、イノベーティブなことをするには、成功体験に基づく考え方を捨て、場合によっては自己否定をしなければならない事が多く、それは大変難しいこと。今回のコロナの件で色々な世代の人と話して感じることがある。自分より上の世代の情報入手といえば、SNSなどは全く使わず、テレビや新聞しか見ておらず、情報が偏っている。アフターコロナについて議論の内容は、20代の人たちのそれと全く違う内容になっている。世代間断絶を感じる。今回が、日本が変わる最後のチャンスと期待するが、一方で懸念もしている。

黒田:チャットボックスに寄せられた参加者のご意見を代読する。「今回、会社は自分のことで精一杯だった。緊急対策本部が立ち上がり、在宅勤務のツールもない中、どうやって人員を確保し、感染リスクを抑えて業務を遂行するかが至上命題だった。今後も当面そうであろう。これが東日本大震災のときと違うところ。思えば、今の緊急対策は、すべて内向きの活動であり、社会に向けた活動が全く入っていない。日本企業が動かないのは、会社の対応マニュアルがもっぱら内向きにしか作られていないからだと思う。そして、コロナ後に働き方は元に戻ってしまうだろう」

現場からの生々しいご意見をいただいた。自分の体験からしても、こうした状況は多くの日本企業に当てはまるのではないかと思う。自分はボードメンバーの一人として、社会のために何ができるかを経営陣に問いかけなければならないと痛感する。

最後に、別の参加者から、「ステークホルダー資本主義やESGの議論が浮いた話に聞こえてしまうのは、何を手放すかについての明確なコンセンサスが得られていないからではないか」というご意見をいただいた。ステークホルダー資本主義の加速化のために手放すべきものはあるのかをお二人に答えていただくことで、今日の締めとしたい。

渋澤:自分は会社で宇宙人と呼ばれていて、常に浮いた話しかできないのだが(笑)、トレードオフではないと思う。命か経済かのどちらかではなく両方が大事であり、「か」ではなく「と」である。あえて手放すことは何かといえば、銭谷さんのご意見と重なり、過去の成功体験だと思う。それを手放し、過去にとらわれなければ、色々なことができるはず。

銭谷:会社の経営をするにあたって、全てはできないので、優先順位付けは常に必要である。それが何かは企業によって異なるが、その優先順位を、経営者だけでなく皆が見ていることを今の時代は認識すべきである。結果としてあるべき方向にシャッフルされていく。閉じた議論で、経営戦略の優先順位付けが間違ってしまうことの無いように期待したい。

黒田:望むべき未来に向けて企業や社会が動いていくように、投資家であるお二人の益々のご活躍に期待したい。今日はありがとうございました。