コラム

2011.10.31(月) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 9:サッカーにおけるイノベーション

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発(松村卓朗)】
第9回サッカーにおけるイノベーション~役割分担に関する革命~

「ブジャデ」という言葉をご存知だろうか。「デジャブ」を逆さにした言葉だ。
フランス語の「デジャブ(Deja Vue)=既視(体験)感」は、十分に一般的な用語になっていると思うが、「初めて見るはずなのに、かつてみたことがあるような気がすること」だ。一方、「ブジャデ」は、「何回も見たり経験したりしているのに、全く初めてのことのように新鮮に感じること」を指す。
スタンフォード大学のロバート・サットン教授が言い出した言葉で、イノベーションにはこのような「ブジャデ」の発想が重要だという。イノベーションを起こすには、他の皆と同じものを見たり経験したりしながらも、新鮮に感じ、違うことを考える必要があるからだ。
世界のサッカーの歴史においては、私も憧れたスーパースターと言われる人達がいた。古くはペレに始まって、マラドーナ、プラティニ、ジーコ、ジダン、今ならメッシといった、多くのファンの心を鷲掴みにしてきたプレイヤー達はたくさんいる。しかし、こうしたプレイヤー達は、もちろん、魅力的な素晴らしいプレイの数々を見せてくれたが、サッカーにイノベーションを起こしたという語られ方はしない。異次元のプレイを見せてくれたとはいえ、あくまで、サッカーそのものの範疇からは出てはいない。
そうしたプレイヤー達の中で、サッカーに「イノベーションを起こした」とまで言われるスーパースターが過去に2人いる。一人はベッケンバウアー、もう一人はクライフだ。2人は全くの同時代に活躍し、1974年のワールドカップでは、西ドイツ代表とオランダ代表として決勝で対戦し、後世に残る名勝負を繰り広げた。サッカーの世界ではもちろんスーパースターだが、ただ、スーパースターぶりなら、ペレとかマラドーナがその上に君臨するだろう。ペレやマラドーナは、いわば、サッカーを極めた。すべてのサッカー選手達の延長線上をたどっていき、はるか先にいるイメージだろうか。しかし、ベッケンバウアーやクライフは、延長線上にはいない。サッカーを極めたというより、サッカーをまるで違うスポーツにしたという表現がしっくりくる。そんな彼らはきっと、皆と一緒にサッカーをやりながらも、そこで全く違うものを見ていた、つまりブジャデを感じていたのではないかと思う。
ベッケンバウアーが起こしたイノベーションは、「ディフェンダー(守備陣)の攻撃参加」だ。そして、彼自身は「リベロ(自由人)」という、これまでのサッカーにはなかったポジションを実質的に創り出した。
かつてのサッカーでは、フォワードは攻撃する人であり、ディフェンダーはひたすら守備をする人と考えられていた。試合が始まると選手はピッチの前と後ろに分かれた。ディフェンダーは相手の攻撃を跳ね返す。そのボールをウイングフォワードが拾ってドリブルで突破し、最後にはセンターフォワードがゴールに押しこむ。それがサッカーという競技だった。
味方が攻撃を受けてもフォワードは守備に参加せず前線に残ることが常識的だったし、


攻撃にディフェンダーが参加することもほとんどなかった。当時のディフェンダーというのは、相手の攻撃を確実に防ぐためのみに存在しており、攻撃参加などはむしろ非常識で非効率と考えられていた。
しかし、ベッケンバウアーは、最後尾にいて守りの要の役目を果たしながら、ひとたびボール奪取に成功すれば、そこから他の選手を操る司令塔として攻撃の起点となった。そればかりか、誰にもマークされない「リベロ(自由人)」として、自身が最前線まで上がっていって、点まで取った。点を取るのはフォワードの仕事、守るのがディフェンダーの仕事、そして、それぞれがきちんとその役割を果たすことがサッカーの戦術であると固く信じられていた時代に、まさに、自由人としてフィールドを縦横無尽に駆け回ったことは、大変な驚きをもたらしたはずだ。
私自身、学生時代には彼と同じポジションをやっていたが、左右に動くのが精一杯で、前後に動くなどという発想と世界観(および体力と技術)は終ぞ持てなかった。ただ、彼が用いた「オフサイドトラップ」という戦術があるが、これは、私も何とかマスターしてよく使った。この戦術をはじめて知ったときには、驚天動地だった。簡単に言うと、相手が攻めてきたときに、普通は守ろうとしてディフェンダーは後ろに下がるものだが、むしろ前に出るという戦術だ。下がらずに前に出ることで、オフサイドのルールを逆手にとって、相手を反則にかけることができるのだ。
ベッケンバウアーにかかると、皆と同じようにサッカーをしながらも、それは全く違うものに見えていたのだろう。そして、「フォワードが攻める、ディフェンダーは守る」という前提を、あるいは「守るときには当然後ろに下がるもの」という、誰も疑うことすらしない前提すら、一旦疑ってかかることができたのだろう。
一方、クライフは、いわゆる「トータルフットボール」というイノベーションを起こして実践した。流れるようなポジションチェンジを繰り返しながら、チームの誰もが攻め上がり、誰もが守備をする。即ち、言わばサッカーから“ポジション”というものを無くしたのだ。
かつてのサッカーでは、11人の選手の役割は1人1人はっきりとしていた。それぞれの仕事は細分化され、概ね一人が一つの役割を果たすというのが基本だった。 役割分担が明確化すれば、言わば、各々のポジションのスペシャリストが生まれる。ポジション別のスペシャリストを育てるのが、今でもそうだが、育成の基本だ。その方が育成期間が短くてすむし効率的だからだ。しかし、これは一方で、戦術の硬直化をも生み出しやすい。
トータルフットボールでは、11人の選手全員が、ポジションを守るのではなく、ポジションにこだわらずに自由に動く。目まぐるしいポジションチェンジによる変幻自在の攻撃は、現代サッカーの特徴と言われているが、これとなんら変わることの無い「トータルフットボール」を、クライフは今から40年近く前にやっていたのだ。そのあまりの斬新さから、当時、“未来のサッカー”とまで称され絶賛されたのがよく理解できる。先日、当時の試合のビデオを見たが、クライフが率いた1974年のオランダは、1チームだけ現代のサッカーチームが混じっているかのようだった。
しかし、このサッカーを実現するためには、選手全員が絶対に次の2つの要件を満たさなければならなかった。まず1つ目は、選手全員がすべてのポジションをこなせるオールラウンドプレーヤーであること。2つ目は、選手全員が常にフィールド全体の状況を見通し、その時々の状況に対し自分が何をすべきかを見抜ける高い戦術眼を持っていることだ。こんな難しい要件を満たすことを選手全員に課し、そんな組織を創りあげ、そして実際に機能させるとは、彼には、サッカーをしながら、他の誰とも違うものが見えていたに違いないと思うのだ。
クライフは、勝つためには「一人ひとりがポジション、つまり役割分担を守り全うすること」という、誰もが信じて疑わなかった前提を疑った。目に見えない前提を疑わなければ、イノベーションは起こせない。
ちなみに、クライフにかかると、例えば、PKにだってイノベーションを起こせる。何百回も繰り返しやってきたPKを全く新鮮なものに見てとることができたのだろう。「PKはゴールに向かって蹴るもの」という前提を崩している。
なんと、PKキッカーのクライフがペナルティスポットにボールを置くと、ゴールに向かって蹴らずにすぐさま横にちょこんとパスを出しているのだ。そこに外から走り込んで来たプレイヤーがGKと1対1になり、それを冷静にクライフにリターンパスし、クライフが無人のゴールにシュートして点を決めている。
今、多くの企業組織が、部署ごとに担当ごとに役割分担をして効率的な運営を追求してきたものの、それが組織運営の硬直化につながり悩んでいる。例えば、スペシャリストは育っても視野の広い経営人材が育たない。例えば、一つ一つの仕事の効率は高まってもイノベーションが起きない。ローテーションをさせたくとも、オールラウンドプレイヤーを育てたくとも、そんな余裕がないので、目の前の慣れた仕事を続けさせるしかないと言う。
先日亡くなったスティーブ・ジョブズの伝記を読んでいたら、アップルでipodが生まれた理由の1つは、部署や役割分担が細かく分かれていないことだと書いてあった。彼自身、“Think different”を地で生きた人だ。我々も、組織運営に携わるにあたって、役割分担をもっと柔軟に考え直してみることが求められているような気がしてならない。まずは、ベッケンバウアーやクライフが感じたような“ブジャデ”を感じたい。

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