コラム

2020.02.02(日) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 90:スポーツを通じたアフリカへの国際貢献(2)

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】
第90回:スポーツを通じたアフリカへの国際貢献(2)~ザンビアでプロサッカー選手となり、“ケイスケ・ホンダ”越えを目指す“ジンドー”(森下仁道さん)~

昨年12月、今年のGIAリーダーの旅の舞台となる予定のザンビアを訪れた。ザンビアのプロリーグ(=ザンビアン・プレミアリーグ)には、昨年、中町公佑選手が移籍して日本でもちょっとした話題となった。J1リーグの横浜F・マリノスの主軸だった彼は、日本での給与の何十分の1になるという待遇も受け入れ、アフリカに渡った。一度お会いした際に彼が、日本とアフリカの架け橋になるために、まずは、トップ選手でありながらアフリカに渡って活躍する最初の日本人選手になるのだと語っていた姿は印象的だった。(「サッカーから学ぶ組織開発・人材開発」記事参照:第81回:アフリカに初めて挑む日本人現役Jリーガーの挑戦

ザンビア滞在中に、ザンビアには実はもう一人、日本人プロサッカー選手がいたことを知って驚いた。筑波大学国際総合学類4年の森下仁道(じんどう)さんだ。(筑波大学を休学し、ザンビア1部リーグの「FC MUZA」で2019年5月までプレイしたが、既に退団して日本に帰国している。)
彼の経歴は異色で、私も大変興味を持った。筑波大の蹴球部では1軍戦の出場はない。日本でプロ(Jリーガー)を目指したが、それは体育会を引退する時点で叶わなくて、ならば「とがってやろう、日本人がいないところで勝負してやろう」と思ってザンビアに渡ったという。
森下さんは岡山県倉敷市の出身だ。5歳の時に父親の仕事でオランダに渡り、サッカーを始めた。5年間過ごしたオランダから帰国して倉敷市の小学校へ転校したが、言葉が英語交じりだったため、「外人」と言われ、「調子に乗るな」と集団でからかわれた。体操着を隠されるなどのいじめを受けたが、心の支えになったのはサッカーだったという。

プロサッカー選手になったとは言え、彼が語る様子を聞くと、ザンビアでの生活はとても過酷だったようだ。 (出所:https://www.youtube.com/watch?v=_nWQlB0Z7pg
クラブハウスと練習場が、片道歩いて1時間かかったという。練習が終わるとまた1時間歩いてクラブハウスに帰る。そこで、自分達でシマと呼ばれる現地の主食を作る。シマと卵1個の貧相な食事をとる。洗濯機もなく、練習着は手洗いだという。
日本とはかけ離れた環境の中、身体能力の高いアフリカ選手と競い合う。「日本では足が速い方だったんですが……。こっちのスピードは桁違いです」と語っている。それでも、カメルーン元代表などが所属するチームメイトとの激しい日々の競争を勝ち抜いて、試合にも出場した。

彼はまた、選手としてだけでなく、アフリカでサッカーを通じた国際貢献を目指す挑戦をしていた。「サッカーには他人を幸せにする力がある」という信念を抱いているという。彼は、ザンビアでは“Victorious Life”というNGOでインターンをしていた。その活動内容を、自身のブログで次のように紹介している。
「活動内容を端的にいうと、サッカーを通して育成年代の子どもたちの人格形成や教育を行っています。ザンビアでは、両親から過度な暴力を受け家に帰りたがらない子ども、若くしてアルコールやドラッグに手を染めてしまった子ども、家族を交通事故で亡くし帰るところがないストリートチルドレンなどといった課題を抱えて生活している人が数多く存在します。そのような地元の子どもたちに平日“Jindo’s Clinic”を開設し、オンザピッチだけでなく、人生設計やアスリートとして基本的な姿勢や知識(食生活、睡眠等)について議論を交えながら指導しています。(JFA公認C級ライセンス取得済)」 (出所:http://all-about-africa.com/jindo/

私もザンビアで出会ったストリートチルドレン達の現実には大変衝撃を受けたばかりだ。6歳の子がストリートで生活し、飢えや寒さを凌ぐために、ベンジン(シンナー)を吸って脳を麻痺させていた。そのあまりにも悲惨な状況と数の多さの前に、私自身の無力さを感じるばかりだったので、森下さんのこのような活動を知るにつけ、頭が下がる思いでいっぱいになった。

ところで、彼がザンビアとつながりを持つ転機となったエピソードがとても面白かった。かねてより、彼は“スポーツを通じた国際開発を肌で実感したい!”という純粋で熱い想いを抱いていた。
それで、筑波大学では“IDS(スポーツを通じた国際開発)”について研究していた。将来は、全大陸でサッカー選手を経験すると共に、自身のNGOを立ち上げ、サッカーを通して多くの国際問題を解決したいという夢を抱いている。過去の先人が残した様々な先行研究を見ていく中で、アフリカは特別にスポーツを通した開発の事例が多く、この地に赴くことで多くのことを学ぶことができるのではないかと考えていたという。
そんな森下さんにある転機が訪れる。それは、ザンビアで開かれる学会に、筑波大学の副学長が招かれることになったという情報を耳にしたことだ。 何とかアフリカに行くための突破口を見出そうとしていた森下さんは、副学長を訪ねると「自分を一緒に連れてってください!」と直談判した。
副学長からは、「・・・その前に君は誰ですか?」という冷静なツッコミを突き刺されたそうだが、その熱意で見事にザンビア行きチケットをもぎ取ることに成功する。
初めてのアフリカ、初めてのザンビアでは、後のホストファミリーとなる人との運命的な出会いを果たしたのだという。

森下さんは、今はJリーガーを目指して頑張っているが、サッカー選手になるだけではなく、個人の価値を高めた後は、教育者や実業家として、社会に還元したいと強く語っていた。
インタビュー映像では、今の身分で言うのはおこがましいが、“ケイスケ・ホンダ”を超えることが野望だと笑っていた姿が、とても素敵だった。

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 89:スポーツを通じたアフリカへの国際貢献(1)
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