コラム

2013.02.28(木) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 21:日本サッカー “アマからプロへ”の大変革(1)

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発(松村卓朗)】
第21回 日本サッカー “アマからプロへ”の大変革~誕生から20年経ったJリーグ~(1)

今年もJリーグの開幕の季節がやってきた。Jリーグは、この春で20周年を迎える。人間で言えば成人だ。20年前、Jリーグ開幕戦は、満員に埋め尽くされた国立競技場で、ベルディ川崎対横浜マリノスの試合で行われた。あの光景を振り返れば、いまだに鳥肌が立つ。この試合に限らず、日本のサッカークラブの試合などせいぜい数百人にすぎない観客が観戦していたスタジアムが、どの試合でも数万人が訪れるようになったのだ。そして、それまでは一度も出場すら経験なかった日本サッカーは、今やW杯の常連国になった。

こんな大変革は、他ではなかなか目にすることがない。川淵三郎(初代Jリーグチェアマン、現サッカー協会名誉会長)が行ったJリーグの立ち上げのストーリーは、私自身、企業組織変革におけるリーダーシップの手本と思ってきた。この機会に、そのエッセンスをまとめてみたい。(3月15日に行う【元気会】<サッカーから学ぶ組織開発・人材開発>では、これをテーマに対話する予定です。)

まずは、今回の稿では、「0)変革のスタート」と題し、組織のトップでもなく、したがって大きな権限も持っているわけでもなく変革を始動させた川淵氏の工夫から確認しておきたい。

0)【変革のスタート】

まず、大変興味深いのが、このJリーグ創設を、彼はトップでない立場でありながらリーダーシップを発揮して進めたことだ。それはまさにリーダーシップの本質そのものと言えよう。

日本サッカーは、1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得して以来、長くアジア予選も勝てずに低迷していた。先に韓国にプロリーグができて、日本でも勝つために何をすべきかということからプロ化の検討が始まった。しかし、その検討は、古河や三菱や日立などの企業の幹部が集まって行っていた。なぜなら、当時こうした企業が日本サッカーリーグの各チームのオーナーだったからだ。さらに、「プロ化」など、オーナーである各企業の幹部もサッカー協会の幹部も皆反対していた。そんなこと「成功するわけがない。」オリンピックもW杯もアジア予選すら突破できないレベル、閑古鳥が鳴くスタジアム、世間での圧倒的な野球人気。当時の状況を想像するに、それは至極普通の感覚だっただろう。

川淵氏は、「このまま検討していたら、絶対つぶされると思った」と言う。そこで、彼がやったことは、プロ化の検討の場を、企業チームのオーナーの人達の集まりである日本サッカーリーグの評議会から、サッカー協会に移すということだ。本来、プロリーグを作るか作らないかというようなことは、サッカー関係者で話すべきことだからだ。

確かに、サッカー関係者でプロ化の構想を検討するようにすれば、企業オーナー達は口を挟めなくなる。「プロリーグができたら、参加するか」と打診されるだけの立場になるのだ。

しかし、「プロ化構想の検討をサッカー協会に移す」ということを議題に上げた最初の理事会では、大変な反対を受けたという。

「サッカーのプロ化と言うがバブルもはじけ、景気も悪くなってきた。企業もサッカーには投資しにくいのではないか。時期尚早だ。」 もうひとりの幹部が続けた。 「日本にはプロ野球がある。他のスポーツでプロ化で成功した例はない。前例がないことを急いでやる必要があるのか。もっと落ち着いて考えるべきだ」 すぐさま川淵は席を立ち、反論をぶった。 「時期尚早という人間は100年たっても時期尚早という。前例がないという人間は200年たっても前例がないという。」この一言がプロ化への流れを一気に加速させたのである。(出所:「文藝春秋」2010.9月号 二宮清純) また、「性急ではないか。今慌ててプロ化する必要があるのか。」と言われた場で、「ぼくは『プロ化の検討委員会を作ろうというのであって、プロリーグを作れなんて言ってないでしょう。プロリーグが良いか悪いかを検討する会を作るのが、なぜおかしいんですか』と言った」らしい。(出所:「Financial Japan」 2004.12)

これは確かに、理屈の上では反論できない。そうやって、「プロリーグ検討委員会」というのがサッカー協会の中にできて、以後はサッカー関係者だけで動くことができるようになったという。後に彼は、これを変革成功の第一要因だと語っている。

ちなみに、川淵氏は日本サッカー協会の中ですらトップだったわけではない。日本サッカーリーグの総務主事の立場で「サッカー第2次活性化委員会」を立ち上げている。そして、前述したように、「日本サッカーリーグ活性化案」を作成し、上部団体である日本サッカー協会に提出し、協会内に「プロリーグ検討委員会」を設置し、その委員長となって、どんどん動きを進めていったようだ。

もし川淵氏が、「上に偉いオーナー達がいるからプロ化など、勝手に進めることはできない」、「自分は組織のトップでないから大きな変革を進めることはできない」などと考える人だったら、Jリーグは生まれていないかもしれない。そう思うと、彼の慧眼とリーダーシップが日本のサッカー界を救ったと言っても過言ではないと思う。

そしてこのことのすごさは、プロ野球と比べてみるとよく分かる。今もプロ野球では、オーナー会議でしか物事が決まらない。従って、「プロ野球にとって」ではなく、「オーナーにとって」が判断基準で、特に声の大きいオーナーの鶴の一声で物事が決まっていく様子をよく目にする。

ところで、変革のリーダーシップの大家、J.コッター教授が指摘する組織変革の落とし穴、および、変革に導く要諦は、次のようなものだ。

  1. 緊急課題という認識の不徹底⇒【危機意識の醸成】
  2. 推進チームの指導力不足⇒【推進チームのリーダーシップ発揮】
  3. ビジョンの欠落⇒【ビジョンの描写】
  4. 圧倒的なコミュニケーション不足⇒【抵抗勢力への対処】
  5. 変革の障害の放置⇒【抵抗勢力への対処】

このステップに従って、今後一稿ずつ、川淵氏の変革手腕を具体的に紹介していこうと思う。

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 20:“ファイナンシャル・ドーピング”をしないバイエルン・ミュンヘンの選手獲得
サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 22:日本サッカー “アマからプロへ”の大変革(2)