コラム

2015.04.01(水) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 42:久保建英君のバルセロナ退団とサッカーのCSR(社会的責任)

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発(松村卓朗)】
第42回 久保建英君のバルセロナ退団とサッカーのCSR(社会的責任)

サッカーファンなら、昨日(3月31日)報道されたニュースには、とてもとてもがっかりしたに違いない。
「久保君」が、試合に出場できない生活に耐えられず、バルセロナの下部組織の退団を決意し、日本に帰国することになったというのだ。
久保君というのは、父親を残して家族でスペインに移住し、小学校4年生10歳のときにバルセロナと契約し、下部組織では10番をつけてシーズン得点王にも輝いた、現在13歳の久保建英君だ。まるでメッシ、日本が生んだ至宝、将来の日本代表を担うエースなどと言われて、これからの世界的な活躍に、私ならずも多くのファンが期待に胸を膨らませて遠く見守っていた逸材だ。

しかし、彼はこの1年、公式戦にずっと出ることが適わなかった。試合に出られなかった理由は、彼にあるのではなく、クラブへの制裁として下されたものだ。所属するバルセロナの未成年選手の登録違反によって、公式戦出場禁止を言い渡されていた。
FIFA(国際サッカー連盟)は基本的に未成年者の国際移籍を禁止している。サッカー以外の理由で親が移住している場合のみ例外だが、FIFAは久保君のケースを認めなかった。スポーツ仲裁裁判所に訴えてはいるが、その判決もいつ出るか分からず、従って、このまま彼がバルセロナに残っても18歳になるまでのこれからの5年間、一切の公式戦に出られない可能性が高く、とうとう決断したという経緯だ。成長途上にある少年にとって、厳しすぎるのではないかと、泣きたくなるような制裁だ。

以前、父親の久保建史氏が書いた、『おれ、バルサに入る!~夢を追いかけるサッカー・キッズの育て方』 という本に目を通したことがある。建英君は、6歳のときには「バルサに入りたい」と言っていたというからとても驚いた。そして、さらに驚いたのは、その夢を叶えるためにそこから親子で努力を重ねたことだ。バルサ入団を実現させるためには、どういう技術を習得すればいいのか、入団テストを受けるには何が必要か、など、道を決めて1つ1つ進めていく姿が詳しく書かれていて、本を読んで感銘を受けたことを覚えている。
バルセロナのカンテラ(下部組織)は基本的に13歳未満の外国人選手を取ることはないということで、9歳という年齢で合格したのは異例中の異例というニュースが流れ、「何という快挙か」「何という時代が来たのか」「自分のことのように嬉しい」と、我々サッカーファンの間ではしばらく酒の肴になったことを昨日のことのように覚えている。おそらく日本中のサッカーファン談義の中で同じような光景が繰り広げられていたはずだ。

今回の久保君に起こった悲劇は、サッカーファンとしてはどのように納得し、前に進んでいったらよいのか。私はこのニュースを聞いて、しばし茫然と考え込んでしまった。
結論から言えば、この機会を「企業における“人権”問題の重要性を強く認識するきっかけ」にするしかない、というのが、私なりの納得の仕方だった。
そもそも、なぜこのような国際ルールが存在しているのかということから、紐解こうと思う。日本の状況から世界を見ているだけではとても分からない、地球規模の問題が横たわっている。
このルールは、人身売買を規制するために存在しているものだ。元々フランスなどの欧州の強豪国が、アフリカのサッカー少年を青田買いしては、芽が出なかったりポイ捨てを繰り返し、ホームレスになったりギャング化したりしたのがそもそも規制のきっかけだったと聞く。悪徳代理人にセレクションに連れてこられ、怪我でもしたら置き去りにされて、そのままホームレスになる子供も少なくないという。
貧困に覆われ教育の機会に恵まれていないアフリカの地で、サッカーは少年たちとその親に大きな夢と希望を与えるもののはずだ。しかし、年端もいかない貧しい国の少年たちが、人生の成功と挫折のまさに綱渡りを異国の地で行っている姿を思い浮かべると、本当に複雑な思いがよぎる。
このルールの唯一の例外は、親の仕事の都合で移住した場合だ。しかし、「ならば親ごと呼んで親に仕事を与えてやれば問題ないだろう」と考えるクラブが増えたという。
人権の問題が裏に横たわっていることを十分に知っていながら、クラブの強化のために手段を選ばず世界中から選手を青田買いし、受け入れていく。ルールの基本精神をないがしろにし、抜け道で運用しようとする、クラブ側の考え方と姿勢がある限り、問題の根絶は難しい。そう考えたFIFAが極めて厳密な態度をとったということだろう。地球規模の問題に根本から対処するには、日本は先進国だからいいだろうというような、特例や例外を認めるわけにはいかないのだ。

世界でCSRの重要性が高まっている。特に欧州ではCSRに関する重要政策が打ち出されるなど、新しい動きが加速し始めている。
しかし、日本ではまだまだ、「CSR=社会貢献」と考えている人が多いように思う。CSRを社会貢献と考えると、なかなか人権問題に思いを馳せにくい。人権などというテーマは、日ごろのビジネスとは関係のないものだと思っている人が多いのではないだろうか。CSRに人権問題が入るなどとはつゆも考えたことがなかった、という人も少なくないのではないだろうか。
しかし、近年、CSRのテーマの1つとして「人権」は大変注目を集めている。「CSR=企業の社会的責任」と考えると、人権が重要なテーマであることは十分に納得できる。今回の久保君の件も、こうした文脈の中で理解する必要がある。
一言で人権といっても、児童労働、強制労働といったものから、人種や部落、障がい者、LGBT(性的少数者)、女性登用、メンタルヘルス、あるいは、セクハラやパワハラ、過労死、など非常に多くのテーマが含まれるようだ。
日本では、差別被害を受ける問題に自分が関係している可能性が一部の人にあっても、「人権」を身近な問題として感じられる人は少ないように思う
これから、企業は、「人権の重要性の理解が、国際社会でビジネスをしていく際には不可欠」という共通認識を企業内に確立できているかどうかが問われる。
そのために、今回の久保君の件、彼はなぜバルセロナに居続けることができないのかということを、地球規模で起こっていることに想像を巡らせ、考えてみることは大いに示唆を与えてくれるのではないかと思うのだ。

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