コラム

2015.11.03(火) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 49:障碍者スポーツがスポーツになるには

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発(松村卓朗)】
第49回 障碍者スポーツがスポーツになるには~ラグビーから考えるダイバーシティ・マネジメント~

先日のW杯で日本代表が大活躍し、世間の注目を集めた。ラグビーのことだ。私もテレビに釘付けになって見た。世間の話題は、しばらくラグビーにさらわれた。残念ながら決勝トーナメントには進めなかったが、大きな印象を残した。とりわけ南アフリカを破った試合は、すべてのスポーツの歴史における最大のアップセットだとまで言われていると聞く。これまでのW杯で最も勝率の高いチームを、これまでのW杯で1勝しか挙げたことのないチームが破ったのだ。

しかし、ラグビーは、実力がそのまま出るスポーツで、運に左右されることはほとんどないようだ。だからこそ、これだけの結果を残すことができた今回は、どの国のチームよりもハードワークを重ねてきたことが実を結んだということにすぎず、真にチームが力をつけたと言ってよいのだろう。今後、私も、これだけ強くなった日本ラグビーからも、チームづくりのヒントを学びたいと思う。
今回はサッカーの話ではないのかと思った人もいると思うが、多くの方がご存じのように、ラグビーはサッカーの反則から生まれたスポーツだ。サッカーの試合中に、ボールを手で持って駆け出した選手がいて、それがラグビー発祥となったと聞く。ただ、今回調べてみて分かったが、これは全くの誤解のようだ。あくまでサッカーにもラグビーにもなっていなかった時代の原始『フットボール』が、サッカーに訳されてしまったことで誤解が広く定着してしまったようだ。いずれにしても生まれからしてユニークだが、知れば知るほど、とてもユニークなスポーツだ。ボールは大変扱いにくい形をしていてどこに転がるか分からないし、スポーツの中で唯一、前に投げてはいけないというルールがある。

ところで、にわかファンになり、サッカーから生まれたもののサッカーとは大きく異なるラグビーと接したことで、この頃考えるようになったことがある。ダイバーシティに関する2つのことだ。この2つは、サッカーを見ていただけでは得ることがなかった視点だ。
1つは、「外国人」のチームへの取り込み方であり、もう1つは、「障碍者」スポーツのあり方である。多くの企業でのダイバーシティ・マネジメントにおいても、「外国人」と「障碍者」は、重要なファクターであるので、一度ラグビーに関心を持って考察してみると面白いと思う。

「外国人」のチームへの取り込み方というのは、何というか、日本代表に入れる基準がサッカーに比べると段違いに緩いのだ。サッカーでは、帰化して「国籍」を取得していなければ代表にはなれないが、ラグビーでは、3年以上居住していれば代表選手になれるのだ。その結果として、今回の日本代表には、10人もの外国籍選手がいた。
このことは色々な議論を呼んでいるようなので、別の機会に取り上げたいが、日本企業で働くようなものだと考えたらどうだろうか。日本企業で働くのに、「日本人になれ」というのはおかしい。むしろ、外国人に日本人のように振舞うことを求め、まるで「日本人になれ」とでも言っているかのような姿勢が、これまで海外での日本企業の人気を下げてきた。それに比して、これだけ多くの優秀な外国人が、日本代表として働きたいと言ってくるほど大人気なのだから、このチームから我々が学ばない手はない。

もう一つの「障碍者」だが、私は、さすがにラグビーには障碍者スポーツはないだろうと思っていた。身体障碍者がこれだけ激しいコンタクトをするのは無理だと考えていた。しかし、車いすラグビー(ウィルチェア・ラグビー)という競技があることを知って、大変驚いた。パラリンピックの正式種目になっている。実際に先日、テレビで見てさらに驚いた。健常者ラグビー同様、タックルが非常に激しいのだ。車いすでぶつかり、車いすごとぶっとばされるので、大きな怪我を負って障碍がさらに進んでしまうのではないかと思うほどだ。
そしてこの程(11月1日)、アジア・オセアニア選手権で、オーストラリアを破って、ウィルチェア日本代表はアジア・オセアニアのチャンピオンになった。オーストラリアと言えば、今回のラグビーW杯で準優勝した国で、ウィルチェアにおいてもロンドン・パラリンピックで金メダルをとっている強豪だ。ちなみに、ウィルチェア日本代表は、ラグビーW杯で優勝したニュージ―ランド(オールブラックス)をも破っている。いつか健常者ラグビーが成し遂げたい夢を、先に叶えてしまった。ラグビーは、ウィルチェアから大いに学ぶべきだろう。

以前、「なぜテニスの世界で日本には、グランドスラムで優勝するような世界で通用する選手が出てこないのか」と記者が質問した際に、「何を言っているんだ。日本には、国枝慎吾がいるじゃないか」とフェデラーが言ったのを聞いたことがある。国枝慎吾は、グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計40回の優勝を遂げている。
我々には、なかなかフェデラーのような見方はできない。無意識のうちにテニスと車椅子テニスとを分けてしまっている。そして、多くの人が、障碍者スポーツは、健常者スポーツより魅力に欠ける、一段下のものだとして見ている。だからこそ、障碍者スポーツの選手達の多くが、「障碍者スポーツ」ではなく、「スポーツ」と呼ばれる日が来てほしいと言う。
その点、ウィルチェア・ラグビーは、その壁を破る可能性のあるスポーツなのではないかと思った。ラグビーとは相当異なるのだ。 “タックル”というラグビーの魅力の本質だけが同じ。しかも、車いすを使うだけにぶつかりが生身の人間同士より激しい。しかし、ボールは楕円形ではなく、球だ。そもそも、前に投げてよいのだ。障碍者スポーツではなく、別のスポーツとして進化していくには、これくらい違う方がいい。サッカーとラグビーがそうであるように、互いに別のスポーツとして存在し、互いに尊重し合えるようになれるといい。

しかし、究極は、障碍者も健常者も、全く同じステージで、全く同じルールで戦い、それでいて、とても魅力にあふれたスポーツを発明することだと思う。いわば、「共存」ではなく「統合」だ。本当にそんなスポーツを発明することができれば素敵だ。しかし、今のところ、私たちはまだ、その答えを見つけていない。どうしても身体を使うことがスポーツの定義である以上、スポーツの限界だろうか。だが、そうしたことは、我々がいるビジネスの世界ではできる。ビジネスでしかできないと言ったら大げさだろうか。にも関わらず、我々が自らのビジネスで挑戦できている範囲には、まだまだ大きな余地を残している。

先日、京丸園という農業法人を訪問させていただいた。
社長の鈴木厚志さんは、障碍者とともに働くようになったことが、会社のブレイクスルーだったと語っていた。知的障碍を持つ従業員を雇用してほしいとやってきた養護学校の先生から、知的障碍者でも作業ができるのではないかと言われたとき、とても腹が立ったと言っていた。特に見学してもらった作業は、これまでは、長年勤めた熟練の社員しかできなかった作業だったからだ。しかし、用具やプロセスを工夫することで本当にできたときには、目から鱗が落ちる思いだったという。
農業には、ゆっくりと進めなければいけない工程がいくつかあるという。しかし、健常者ではついスピードを上げてしまう。そこで、そのような工程は、飽きずに、ゆっくり同じペースで進められる身体障碍者に担ってもらっているという。
また、農業は、広大なスペースで一人で作業をすることも多い。精神障碍の方に担ってもらうと、本人の精神の状態にもプラスの効果をもたらすことができる工程が、結構あるのだという。
「障碍者だからこそ」健常者以上にできることに目をやるという発想は、とても新鮮だった。我々が、障碍者と健常者が全く同じ条件で、1つのチームとして楽しめる究極のスポーツを発明できていないのは、こうした視点がまだまだ足りないからだろうか。

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