コラム

2015.11.30(月) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 50:タイのサッカーに再挑戦する日本人選手

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発(松村卓朗)】
第50回 タイのサッカーに再挑戦する日本人選手~元日本代表岩政選手がタイでのプレイを選択した理由~

先日タイ・バンコクを訪れた。タイを拠点にしている日本企業のマネジメントの皆さんに、「タイでのハイパフォーマンスなチーム作り」のセミナーを行うためだ。
タイには現在、7000を超える日系企業が拠点を置いており、バンコクには世界の首都中で最多の日本人が住むと言われる。タイという国は、相当な親日国であり、親日という言葉では表しきれないほどに「日本」が自然に浸透している国でもある。
そんなタイでは、サッカーでも多くの日本人選手が所属して活躍している。昨年2014年は、なんと60人を超える日本人プレーヤーがいた。外国人枠が7から5に減った今季は、タイのリーグを去る選手も出たようだが、それでも50人が残っている。
昨季は、とりわけ実績のある有名な日本人選手の移籍が相次いだ。日本代表経験者クラスの選手達が、タイでのプレイを選択したので、サッカー界ではちょっとした話題になったほどだ。カレン・ロバート(オランダ・VVVフェンロ→スパンブリーFC)、茂庭照幸(セレッソ大阪→バンコク・グラス)、西紀寛(東京V→ポリスユナイテッド)、黒部光昭(カターレ富山→TTMカスタムズ=ディビジョン1)、岩政大樹(鹿島アントラーズ→BECテロ・サーサナFC)など。中でも、私個人的には、岩政選手の移籍には驚いた。南アフリカでのW杯にも出場し、鹿島アントラーズで長らく不動の地位にあった主力選手で、まだ32歳なので他の日本のチームでも引く手数多だったろうと思われるからだ。調べてみると、なぜタイを選んだのかという理由が人材開発的に興味深かったので、今回フィーチャーしたい。

岩政選手に焦点をあてる前に、タイのサッカーを簡単に概観してみる。その進化はすざましいようだ。5年前の2009年には年間11万人程度だったスタジアム観戦者が、現在では200万人前後と、およそ20倍に膨れ上がっている。その白熱ぶりによって、ここ数年世界中からの投資も増加し、今季からは、タイ・プレミアリーグのタイトルスポンサーにはトヨタがついている。各クラブの資本力は一層増し、その潤沢な資金を使って、優秀な選手を世界中から獲得するようになった。
これだけの盛況は、2007年に、タクシン元首相によるイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティー買収が、大きなきっかけになったと思われる。もともとタイはサッカー熱の高い国だったが、以前はその関心が自国のリーグではなく、イングランド・プレミアリーグに向いていた。タクシン氏の買収もその影響があると思われるが、ただ、この買収によって、「自分もクラブオーナーになりたい」という富裕層が次々に現れ、そういう方々が国内クラブのオーナーとなり、資金を投入するようになったようだ。

ところで、岩政選手は、なぜ次の舞台としてタイの地を選んだのか。彼はその目的を、まず、「全く違うことをする新たな挑戦」という言葉で表現している。(以下、「フットボール・チャンネル」2014年02月19日号での取材記事を引用する)
「まったく違うことがしたかったんです。違うことをしないと幅は広がらない。タイに来れば、クラブの経営者も選手も外国人で、価値観がまったく変わる。
サッカーで僕がもっとこうしてほしいと要求しても、なぜその動きをしなくてはいけないのか、日本なら大体の話で伝わっても、タイの人はそういう指導を受けたことがない。言葉も通じないし、何を言っているの? となる。日本でそういう経験はできないですね。」
ちなみに、先日のタイでのセミナーの際も論点の1つとなったが、タイは、日本と同じように、いや、日本以上に「ハイコンテキスト」文化の国だ。「ハイコンテキスト」文化というのは、阿吽の呼吸で通じる文化ということだ。互いに背景が共有されているので、いちいち言葉で説明する必要のないことが多い状況にある。興味深いのは、日本人とタイ人とのように互いに「ハイコンテキスト」文化同士だと、「ハイコンテキスト」文化同士だからこそ、通じていると思い込んでいて実は通じていないということが頻繁に起きていたことだ。従って、「ハイコンテキスト」文化の国同士では、どちらかが「ローコンテキスト」文化の国とのコミュニケーションより、曖昧でないコミュニケーションがより重要になるということを、あらためてタイの人達との議論を通じて確認した。

岩政選手はまた、「助っ人として活躍したい」と語っていた。
「日本におけるブラジル人選手のように、助っ人として呼んでもらいたいと考えていたんです。鹿島という知名度があるチームにいて、日本代表にも入っていた。タイに僕が来たら助っ人扱いですよね。普通のプレイ、結果ではいけない。最初から高いハードルが設定されている。それが面白そうだなと思いました。もちろんプレッシャーはあるけど、そのプレッシャーを楽しめるというか、全然違うことができるというのが大きなポイントでした。残り少ないサッカー人生ですから、面白そうなことを毎年、選びながらやりたい。」
彼にとってはプロキャリア10年を過ぎての初めての移籍経験だ。しかも鹿島という日本のトップチームからタイのチームへの移籍とあって、そのギャップに戸惑うことも多かったと推察されるが、冷静に受け容れ、順応していたようだ。
「移籍は初めてですけど、この歳(32歳)になっていますので、色んなことを冷静に見られる。例えばクラブハウスがないとか、毎日スパイクを持って行かなくちゃいけないとか、シャワーも水しか出ないとか、そんな状況ですけど、そういう所なんだと捉えられる。移籍の仕方が特殊なので、その点で嫌なことはあまりなかったですね。」
困難も承知の上で、全く異なる環境にあえて身を置き、そこから自分が何を感じるのかを見てみる。アジア各国で多くの日本人がプレイする時代になって、サッカーキャリアの一つの選択肢だ。日本だけにいたら得られない経験をした選手達がそれらを今後、サッカー界に還元することができる。我々ビジネスパーソンにとっても、大いに参考になる考え方の手本を示してくれるように思う。

ただ、残念ながら、岩政選手は1年で日本に戻ってきて、現在はJリーグ(ファジアーノ岡山)でプレイしている。
タイでの挑戦の成功はうかがえ、「タイでは想像していた以上の成果と評価を得ることができた」と語っている。また来季もタイでプレーすることを当初は考えていたようだ。しかし、彼は退団した。その理由は次のように語っている。(以下、岩政大樹選手ブログを参照)
「理由をお話しするのはいつも難しいです。私の場合、何か一つの理由で決めることはなく、いろんなことが噛み合った結果として決断を下しているのに、限定して話してしまうとそればかりがクローズアップされてしまう。それを覚悟で理由を挙げるとすれば、まずやはり『家族の存在』。二ヶ月に一度、それも数日だけ家族の顔を見てまた旅立つ生活は、私の人生の生き方として正解に思えませんでした。」と綴っていた。
タイの日本企業の駐在員の皆さんも、家族の問題は小さくないと語っていた。単身赴任ではなく、家族同伴での赴任だったとしても、お子さんが年頃になった頃に選択に迷う人は多い。人生に関わることだから、ひとりひとりそれぞれが答えを出さねばならない難しい問題だろう。このことに関して、タイの日系企業に駐在するある方の話は面白かった。「子供が、『サッカー選手になりたいから、中学生になったら日本に戻りたい』と言うんです。しかし、私は、『なぜ日本なんだ。お父さんと離れて暮らすのだから、日本に限定して考えるな。いきなりイギリスやスペインに行ったって同じだろう。サッカー選手になるという目的から考えて、より可能性のある選択をしろ。』と言ったという。こうした考えは、タイに赴任していなければ思いつかなかっただろうとも言っていた。

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