コラム

2019.07.30(火) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 85:カンボジアにつながるサッカーの情熱(前編)

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】
第85回:カンボジアにつながるサッカーの情熱(前編) ~「GIAリーダー」プログラムで出会った、カンボジアの社会に貢献する4人の日本人サッカー青年~

今年のGIAリーダープログラムは、行先をスリランカではなく、カンボジアに変更した。私も初めて訪れたカンボジアでは、忘れがたい様々な刺激的な体験をしたが、それらは別の手記に譲りたいと思う。ここでは、カンボジアの地でサッカーを通じて出会った、あるいは彼の地でサッカーに情熱を捧げている4人の日本人青年を綴っておきたい。

Sui Joh シェムリアップ店:額田竜司さん

GIAリーダーの旅の途中、平日の夜、シェムリアップで1時間半ほどサッカー(フットサル)をする機会があった。GIAリーダー研修の現地アレンジを一手に引き受けて下さったSALASUSUの青木さんのご厚意で、毎週仲間とやっている練習機会に混ぜていただいたのだ。この日のために、私はわざわざフットサルシューズとサッカーウエアを、スーツケースに忍ばせて現地まで持って行っていた。GIAリーダー研修の参加者のKさんとMさんも、せっかくなら一緒にと参戦してくれた。フットサルコートまで、シェムリアップの夜の街をトゥクトゥクに揺られて、気持ちいい夜風にあたりながら向かった。
現地に着くとすぐに、集まった人たちを2つに分けて紅白戦を行った。試合が始まると、軽く汗を流すなんてものではなく皆真剣そのもので、駐在員のお子さんの小学生なども交じっていたが、正直私達よりはるかにスキルは上で面食らったし、ヘトヘトになった。でも、久しぶりにサッカーができて、本当に気持ちのよい時間だった。
一緒にプレイした仲間の中に、一際上手な人がいた。聞くと、サッカー選手を目指していたこともあり、カンボジアに渡ってきてしばらくは、アンコールワット近くの観光客が集まる場で、売り子をしている子ども達を集めてサッカーをやったりしていたこともあると言う。
サッカーの後、夜遅くまで、シェムリアップ中心部のパブストリートにある店でご一緒させていただいた。カンボジア人の奥様も合流し、話を伺った。
彼は、「Sui-Joh」というブランドのシェムリアップにある2店舗を統括する役割を担っていた。Sui-Johは、「Handmade in Cambodia」を掲げて、バッグやポーチなどのファッショングッズを扱っているという。ほぼすべての生地に、カンボジアの伝統的な手ぬぐい「クロマー」を使っているらしい。彼は元々、バングラディッシュ発のブランドを作るというミッションの「マザーハウス」で働いていたが、やはりカンボジアに思いがあって転職し、移住を決断した。人生初の海外旅行の行き先だったカンボジアで、人の「心の温かさ」や「ありのまま生きる姿」に感銘を受けたと言う。
カンボジア人に経営や接客のノウハウを仕事を通じて学んでもらうことで、彼らの夢の実現を手伝っているのだと言っていた。だから、スタッフの採用面接で額田さんが重視するのは、語学などのスキルではなく、その人の将来の夢だという。
カンボジアに魅了されたという、爽やかな笑顔の額田さんと一緒に汗を流したこの夜は、こうやってサッカーを通じて輪が広がることの幸せを心から感じることができる夜になった。

Kumae(バナナペーパー事業) 創業者:山勢拓弥さん

ある日の訪問目的地は、シェムリアップにある「ごみ山」だった。ごみ山に着くと、ごみ山を案内してくれるという人が待っていてくれた。その人が、山勢拓弥さんだった。
彼は、6年前の2013年にKumaeという団体を立ち上げ、現在はバナナペーパー事業を行っている。バナナの皮などの素材でコースターなどの商品を作り、ASHIというブランドで先進国から来る観光客など向けに販売している。Kuameの工房でバナナペーパー事業に携わる社員たちは皆、以前はごみ山で働いていた人達だ。農村の貧民がごみ山で働かなくてよいようにするというのが、山勢さんが事業を起こした理由だ。彼の活躍は、今年の初めに「情熱大陸」(TBS)でも取り上げられた。
2012年に大学を辞めて彼が初めてカンボジアに来たとき、カンボジアの表面だけではなく裏の部分を見たいとごみ山を訪れて以来、ごみ山に魅了されてしまったのだと言う。最初は旅行代理店に勤めたが、好きなことだけに関わりたくて、他の人にお金を払ってまで自分の仕事をこなしてもらって、自分はごみ山に通い詰めたのだと語った。
ごみ山には、小遣い欲しさの少年少女たちも含めて現在でも100名くらいの人達が働いているという。過去には、捨てられていたまだ使えるi-phoneを見つけて、数百ドルを手にした子供がいるという話も残っているらしい。しかし、大変危険な場所で、ゴミを運んできたダンプカーに巻き込まれて死んでしまった子供もいると聞く。
Kumaeの工房の一角には、これまでの歩みが写真とともに飾られている。その1枚に、山勢さんが多くの浮浪児達と一緒にごみ山で働いている写真があった。彼によれば、1か月間、ごみ山で一緒に働いてみたのだと言う。
彼に聞いてみた。「ごみ山で1か月の間一緒に働いてみて、そこで得たものは何なのか。」彼は、ごみ山のことをよく知れたことに加え、得たもので最も大きなことは、「信頼関係」だと言った。ごみ山でできた仲間たちが、それ以降事業を始めてからも、「あのTakuyaが事業をやるのだったら」と、手伝ってくれたし、広げてくれたと語ってくれた。
彼は、ごみ山で働く人たちに、「なぜごみ山で働くのか」と聞いたが、「職がないからだ」と言われ、そんなことはない、意地でも探してやる、なければ俺が自分で作ってやる、と考えたことが、今の事業を創ったと言っていた。 ちなみに彼の今現在の夢は、カンボジアでプロのサッカー選手になることだという。モチベーションは自分の中にしかないことに行きつき、高校卒業後サッカー選手になろうと思っていた夢をあらためて思い出したと言う。
バナナペーパー事業も100%、サッカー選手も100%の200%でやれると力強く語っていた。彼ともまた、フットサルでご一緒させていただいたシェムリアップの夜は、私にとってもちろん、忘れられない夜になった。

ソルティーロ・アンコールFC GM:辻井翔吾さん 
マネジャー:景山慎太郎さん

ソルティーロ・アンコールFCは、元日本代表の本田圭佑選手がオーナーを務めるプロサッカーチームだ。そのチームのGMを若くして27歳で務めるのが、辻井翔吾さんだ。
辻井さんとお会いする数日前に、シェムリアップにあるホームグランドを訪問し、選手たちが練習している様子を見せていただいた。GMの辻井さんは、営業を司っている関係から普段はプノンペンにいるということで不在だったが、練習する傍で、マネジャーを務める景山慎太郎さんがチームの様子を解説してくれながら、自分達の挑戦を語ってくれた。
「カンボジアのほとんどのチームは、シンプルに背が高く足が速い外国人を即戦力として連れて来て強化を図っている。だからいいポジションを外国人がとっている。目先の結果は出るけれども、それではカンボジアサッカーは強くならない。私達はそこを変えたいと思っている。」
「チームには日本人選手が5人いるけれども、決して背も高くなく、足が速いわけでもない。カンボジア人達が、自分達の強みを活かしたチームをつくること、そのことに私達はチャレンジしている。」
「あそこにいる日本人は選手兼監督だ。指導者がいないので、コーチ陣も日本人に来てもらっていて、あのコーチは72歳だ。かつて釜本選手のPKを止めたことがあるというのが自慢だ。今年のキャプテンは日本人の彼だ。このチームに所属する日本人も、日本では経験できないことから、ものすごく多くのことを学んでいる。」
正直、とてもプロが練習する場所とは思えないような、日本でアマチュアの私が練習している所の方がよい環境ではないかと思ったほどの、芝の禿げた、デコボコのグランドでの練習風景が今も目に焼き付いている。しかし、それと同じくらい、景山さんが語ってくれたチームの未来像のインパクトが強く、印象に残っている。 「私達には3年後の明確な目標がある。スタジアムを満席にする。AFCに出場する。チームからカンボジア代表を5人出す。クラブが強くならないと代表が強くならない。カンボジア代表を強くするためにこのチームは大きな貢献を果たしたいんだ。」

チームが目指す未来像の実現を少しでも応援したくて、私も含めて数人がチームのユニフォームを購入させていただいた。私も日本に戻ってフットサルをする際、このユニフォームを着てカンボジアサッカーの未来に思いを馳せながらプレイしたい。

プノンペンで迎えたGIAリーダー研修の最終日、いよいよGMの辻井翔吾さんにお時間をいただき、お話を伺う機会を得た。そこで聞いた話は、次号で語ろうと思う。

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 84:ビジョナリーサッカークラブのつくり方
サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 86:カンボジアにつながるサッカーの情熱(後編)