コラム

2019.08.30(金) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 86:カンボジアにつながるサッカーの情熱(後編)

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】
第86回:カンボジアにつながるサッカーの情熱(後編) ~「GIAリーダー」プログラムで出会った、カンボジアの社会に貢献する4人の日本人サッカー青年(4人目:ソルティーロ・アンコールFC GM 辻井翔吾さん)~

ソルティーロ・アンコールFCは、元日本代表の本田圭佑選手がオーナーを務めるプロサッカーチームだ。そのチームのGMを若くして27歳で務めるのが、辻井翔吾さんという方だった。
プノンペンで迎えたGIAリーダー研修の最終日、いよいよGMの辻井翔吾さんにお時間をいただき、お話を伺う機会を得た。GIAリーダー研修の最後の3日間は、参加者はペアで行動し、会って話したい人にアポを取って対話し、「この国にどのように貢献できるか」の仮説を練ることが実践取り組み課題だった。辻井さんに会いたいという参加者の2人と共に会いに行った。彼は、情熱を持ってこの国に渡ってきて、志を持ってこの国のサッカーに貢献しようと心血を注いでいる、本当に魅力的な方だったので、私達はすぐに話に惹き込まれた。

辻井さん(右)

本田圭祐氏が見出したカンボジアサッカーの可能性

お会いしてすぐに、どうしても聞きたかったいくつかの質問を投げかけてみた。 まず、聞きたかったのが、本田圭佑氏がカンボジアサッカーにどのような可能性を見出したのかということだ。
「この国のサッカーのスタイルを確立できる可能性」だと即答してくれた。スタイルを確立するとは、“強み”を活かしたチームをつくる、ということだ。これは、日本代表にだってできていないでしょ、と言われた。
どのチームも外国人にいいポジションを担わせている。カンボジア人は、総じて体が小さい。だから、シンプルに背が高い人を入れればチームは強くなる。目先の結果は出るかもしれない。でも、そんなやり方で強くしたり、目先の結果がよくなったりしても意味がない。
「私達が見据えているのは、“10年後に真に強いチーム作り”だ」と語っていた。 チームづくりは、いい意味で準備をしすぎず、こういうことを“やる”とだけ決めて、そして、本当にやれるかどうかはやってみて後で決まってくる、とも言っていた。

チームづくりの哲学

ところで辻井さんは、本田圭佑氏の高校の後輩にあたると言う。尊敬する先輩で、その縁でここにいて感謝もしているし、全面的に任せてくれてもいるがオーナーとして影響力も発揮してくれていると言う。ただ、「本田圭佑」という名前を出したときの辻さんの反応には、目を見張るものがあった。辻井さんの強い矜持を感じた。「本田圭佑という名前はどんどん使えと言われている。カンボジアの代表監督にまでなった彼の名前を使うことは、もちろん、大きなメリットがあるし、まだまだ活用しなければやっていけないというのも事実だ。でも、そこに頼るのは嫌だという自分もいる。だから、日本からお金が入ることはありがたいけれど、独立採算にこだわりたい。」
そういう強い矜持が、辻さんのGMとしてのチーム作りの柱をなしていると感じた。チーム作りの哲学について伺った3つの話がとても印象に残った。
1つ目は、日本人(トップ)がチームの皆の信頼を掴むには、「制約を“かいくぐって”頑張る」ことが絶対に必要という話だ。
カンボジアでは、日本と比べてしまうと、制約だらけで不自由なことばかり目に付きかねない。金もないし、スター選手もいないし、ないもの尽くしだ。おまけに日本では考えられないことがたくさん起こる。泥水を一緒にすする覚悟がないと、不満を言ったり、あきらめたりしがちだ。たくさんの制約の中で、いかにやりたいことを実現していくか、“かいくぐる”ことを楽しんでいると言っていた。ピンチこそチャンスだと思っている、と強い言葉で語っていた。
2つ目は、「人を替えない」という話だ。 チームを強くするには、人を替えることは決して避けられない。ただ、最初は「人」にファンがつくのだという。今は、人を大事にするというフェーズと認識している。だから、人を入れ替えることは一切考えずに、今のメンバーでどのようにしたら強くなるかだけを考えていると言っていた。
3つ目は、チームのマネジメントで大事にしているのは、何を言うかより、「誰が言うか」が重要という話だ。
ここでは、“正しいこと”をいくら言っても聞いてくれないという。特に外国からやってきて、敵なのか味方なのかといったところから始まることも多い。信じられるのは家族のみといったマインドの選手もいる。そうした環境で、「俺達は味方だ」というメッセージは生半可では伝わらないという。ミスを繰り返すカンボジア人に、寛容にカバーすることを繰り返していたら、「あなたの言うことには、今後全面的に従う」と信頼関係が構築できたと言っていた。

カンボジアという国への貢献

カンボジアという国自体の魅力についても聞いた。 人口が増えている。子供が増えている。活気がある。それは、ひいては、チャンスの数が日本より多いということだ、と言っていた。 カンボジアで「サッカーを通じて子供たちに夢を持つことの大切さを教える」というコンセプトのもと、辻井さんが中心となってサッカースクールを立ち上げ、200人近い生徒がいるという。
子供たちにはサッカーの技術はもちろんだが、サッカーにこだわっているわけではない、とも言っていた。世界で活躍する人材に育てるため幼い頃から「自ら考えて判断・行動する」という判断力を中心に指導しているという。

辻井さんがカンボジアに来た理由

最後に、辻井さんは「自身のキャリアがどのように始まったのか」についても、話をしてくれた。
大学4年生のときには、大手企業から内定をもらっていたという。しかし、卒業2か月前になって、申し訳ないが内定を辞退した。海外勤務を希望していたが、「それじゃあ、仕事を覚えてキャリアを積んで、35歳になったら海外勤務の夢を叶えてあげよう。」と、内定していた会社から言われたのだと言う。22歳の自分が35歳になってはじめて海外で仕事ができる(かもしれない)なんて、“ギャンブルでしかない”。そんなギャンブルみたいな人生歩めない、と思ったのだという。その2日後にはもうカンボジアに飛んでいたと語ってくれた。
日本のニュースでカンボジアのサッカーチーム(ソルティーロ・アンコールFCではなく、同じシェムリアップに拠点を置くライバルチームであるアンコール・タイガーFC)の名前が出ていたことがきっかけで、フェイスブックでアクセスし、そこで職を得て彼は社会人としてのキャリアをカンボジアで踏み出した。とにかくチャンスが多い国に行きたい、と思っていたし、「自分の給料は自分で稼げ、あとは自由。」と言われて、カンボジアに来て本当によかったと思ったと言う。
初任給が数百ドルだったけど、仕事がとても楽しいと思えた。そして、日本では苦手だったゴキブリが部屋に出たときも、全く大丈夫だと思えた。この気持ちを実感できたときに、ここでやっていけると心から確信したと言う。今も実際に好きなことやっているし、大変だとは思っていない。ここでの仕事はむしろ楽しくて仕方ない。ただ、周囲の人からは、「給与を犠牲にして、好きなことをやっているのだろう。」と言われるので、チームを強くして、給与増も実現して、そんなことは言わせないようにしたいと語っていたのが、非常に印象に残った。

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