コラム

2019.10.03(木) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 87:日本でW杯が開かれているラグビーから学ぶ国境を越えた「多様性」

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】
第87回:日本でW杯が開かれているラグビーから学ぶ国境を越えた「多様性」 ~ダイバーシティがラグビーの魅力~

いよいよ、ラグビーワールドカップ日本大会が開幕して、熱戦を繰り広げている。多くの人がにわかファンとなってラグビーに興じているという話を聞く。かく言う私も、世界最高峰の試合が間近で観られるまたとないチャンスだ、ぜひ見に行きたい、何とかチケットは入手できないか、とは思いつつも、スタジアム観戦は叶わなかった。それでも、私が日本代表の試合をはじめとしていくつかの試合をテレビで観戦し、プレイに一喜一憂し、ラグビーの魅力を大いに堪能できているのも、やはりW杯が日本で開かれているおかげだ。
ちょうど4年前、前回のW杯のときにも、このブログで「ラグビー」を話題に寄稿した。そのときもやはり、ラグビー素人の私がラグビーというスポーツから嗅ぎ取ったキーワードは、あるいは、サッカーとの違いとして認識したキーワードは、「ダイバーシティ」だった。 (参照:第49回: 障碍者スポーツがスポーツになるには~ラグビーから考えるダイバーシティ・マネジメント~

今回のW杯でも、ラグビーの試合をテレビ観戦していて随所に感じるのは、ラグビーの魅力は多様性にあるのではないかということだ。 試合を見ていても、本当に多様な選手が活躍している。フォワードには体重が100kg以上あるような選手がひしめきあい、バックスには足の速い選手を揃えている。中には身長2mくらいある選手もいるが、日本代表の田中史朗選手のように166cmという選手もいる。様々な選手がそれぞれの体格や特徴を生かしながらプレイしている。サッカーでは、ここまでの多様な体格や特徴は生かすことは難しい。

ラグビーの多様性は、国歌やアンセム(賛歌・応援歌)にも表れているので興味深い。 今回のW杯は日本で開かれているので、日本以外の国の試合でも観客の多くは当然のことながら日本人だ。しかし、各国の国歌斉唱の際に、歌詞カードを見ながら他国の国歌やアンセムを歌っている日本人の姿が目につく。自国の国家を一生懸命歌ってくれる姿に、母国では「日本の国民は素晴らしい」と絶賛されているというニュースも耳にした。 余談だが、実は、これは、Scrum Unison(スクラム ユニゾン)というプロジェクトで、ラグビー元日本代表主将の廣瀬俊朗さんが立ち上げたものらしい。ラグビーW杯日本大会に出場するチームの国歌をみんなで大合唱して、世界中からやってくるラグビーファンをおもてなしするという企画ということだ。日本ならではのこのプロジェクトに賛同するラグビーファンが相次いで、大合唱がスタジアムで行われているということだ。

そして、そこで歌われている歌に注目してみるととても面白いことに気がついた。例えばニュージーランドの国歌「God Defend New Zealand」の1番はマオリ語で、2番は英語だ。南アフリカの国歌「National Anthem of South Africa」にいたっては、5つの言語(コサ語・ズールー語・ソト語・アフリカーンス語・英語)が使われているようだ。あるいは、北アイルランド(アイルランド)、スコットランド、ウェールズは、国としては1つの国(イギリス)だが、それぞれの代表チームがW杯に揃って出場し、もちろんイギリス国歌ではなくそれぞれのアンセムを歌っている。例えば宗教対立が原因で社会が南北に分断されているアイルランドだが、代表チームとしては一つになっている。アイルランド代表というのは、アイルランド共和国と北アイルランドの連合チームのため、アイルランド国歌ではなく「Ireland’s Call(アイルランドの叫び)」というアンセムが歌われていた。それぞれの国の選手とファンを一つにするための歌だということだ。ウェールズのアンセム「Hen Wlad Fy Nhadau(我が父祖の土地)」は、英語ではなくウェールズ語だ。英国に英語以外の独自の言語があるということにはとても驚いた。

チームのメンバーが多国籍であるのも、ラグビーの大きな特徴だ。ラグビー日本代表には海外出身の選手が大勢いる。「なぜ日本代表なのに外国人がいるのか?」というのは、ラグビー日本代表を見た人の多くがいつも抱く疑問だろう。 代表資格(エリジビリティ)が他のスポーツと大きく異なるのだ。
オリンピックやサッカーのW杯など、ほとんどすべてのスポーツは「国籍主義」だが、ラグビーだけは「自分の暮らしている地域」の代表になれるスポーツなのだ。ラグビーは大英帝国が世界の覇権を握っていた時代に発祥し、ラグビーをしていたエリートたちが各地の植民地に散らばる中で広まっていったという。自分の生まれ故郷だけでなく、住む場所に合わせてどちらの国の代表にもなれるという形になっていったのがルール化されたと考えられている。  
今回の日本代表の中には、韓国籍の選手もいて、とても活躍している。具智元選手だ。 調べてみると、彼のお父さんは韓国のラグビー界では”伝説”と呼ばれる具東春選手で、アジア最強のプロップとして名を馳せたようだ。そういうルーツを持っているにも関わらず、「良い環境でラグビーをさせてあげたい」と、お父さんが中学時代に日本に留学させたという。 あるインタビューでは、「こういう国際情勢の中、躊躇や、韓国代表になりたいという気持ちはないのか?韓国からの批判はないか?」という質問に対して、具選手は「韓国のラグビー仲間は、お前は日本代表でもあるが、俺たちの代表でもあるんだから頑張ってくれ、と言ってくれた」と答えていた。
さらに、彼自身も、「両方の国の人から応援してもらって嬉しい。自分がワールドカップで活躍することによって、日本人が韓国人を好きになってくれて、韓国人が日本人を好きになるような、そういう橋渡しのような役割をしたい」と話していた。 (出所:AbemaTV『AbemaPrime』2019年10月1日) もちろん、サッカーでも野球でも、外国人選手がチームにいて活躍している。しかし、ラグビーは、国を代表するナショナルチームに、自分とはまったく違う環境や文化のなかで育った人を受け入れて一緒にプレイするのだ。それはまた格別に違ったものだろう。ラグビーの唯一無二の素晴らしさではなかろうか。

 世界平和の実現に最も貢献できるスポーツなのではないかという気がしてきているのは、私だけだろうか。

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