コラム

2020.08.03(月) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 93:新型コロナウイルスとの戦い方はサッカーが教えてくれる

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】
第93回:新型コロナウイルスとの戦い方はサッカーが教えてくれる~必要なのは「安心」ではなく「安全」(心理的安全の考察)~

このほど、感染症専門医が書いた「新型コロナウイルスとの戦い方はサッカーが教えてくれる」という本を読んだ。もちろん、このタイトルに惹かれて買って読んだものだが、著者の岩田健太郎氏(神戸大学教授・同大学医学部附属病院感染症内科診療科長)は、集団感染が発生したクルーズ客船ダイアモンド・プリンセス号に乗船した人だ。「ダイヤモンド・プリンセス号内の感染対策は悲惨な状態で、感染対策のプロは意思決定に全く参与できず、素人の厚労省官僚が意思決定をしており、船内から感染者が大量に発生するのは当然」といったメッセージをYouTubeで発信して、一躍時の人になったことから覚えている人も多いだろう。 

彼は実は、大のサッカー愛好家だという。Twitterなどでも、感染症の話に交じってサッカーのネタをよくつぶやいていた。そして、今でも週末などに現役でサッカーを続けているという。(ポジションは、私と同じセンターバックということなので、勝手に親近感を抱いた。)
「サッカーは判断がとにかく大事で、それは感染症の対策と基本的に一緒」だとのことで、サッカーをたとえに感染症のイロハを分かりやすく解説することを目的に、この本を著したと語る。

すべてをサッカーにたとえて説明を試みているので、私のような感染症素人のサッカー馬鹿には、本当に分かりやすかった(例えば、感染症の「ゾーニング」の概念を、サッカーの「ゾーンディフェンス」のラインコントロールにたとえて説明していたので、私にはとてもイメージしやすかった。サッカーに詳しくない人には、逆に何のことかさっぱり分からないということもあったかもしれないが)。そして、とても参考になると思った話も少なくなかった。

とりわけ、彼の主張で興味を引いたのは、こうしたパンデミックの状況において、「安心は要らない。必要なのは安全だけ。」というものだ。
そもそも、【安全】という言葉はどの国でも通用する言葉だが、【安心】という言葉は日本でしか通じない言葉、「日本独特の言葉だ」と言うのだ。
安全と安心に関する岩田教授の説明は、本書によれば次の通りだ。
「安全とは何かといえば、データがあり、根拠があり、それによれば安全だということです。このマスクをつけると感染をブロックできますよ、これは安全です。
一方、根拠はないけれど気分が良くなるのが安心です。例えば、病気をしている人がいて、腫瘍を取り除く治療をして、抗不安薬や痛み止めなどを投与することで、痛みがなくなったり、気分が良くなったり、そういう作用があれば安心を獲得したことになるでしょう。しかし、それでは病気は治りません。すると安心というものが逆効果になる。安心というのは無益なばかりか、場合によっては有害になってしまいます。非常に大切な「安全」を忘れてしまうことになりかねません。」
要するに、「安全であるか、安全ではないか」という議論をしようとすれば、具体的な話になり、根拠を伴う内容になる。安全は、極めて合理的に考えるために使われる言葉だというのだ。 サッカーにおいても、ディフェンダーがゲーム中に「安心」できる状況などなくて、点を取られないようにするためにできることは、少しでも「安全」の可能性が高まるように合理的に考えることだけだという。

コロナ禍において、日本の政治家のメッセージは、みんなを不安に掻き立てないために、国民に「安心」を与えるために、「我々はちゃんとやっていますよ。問題ありませんよ。日本は大丈夫ですよ」というものだった。しかし、多くの人は、根拠のない安心をアピールされるとかえって不安になったのではないか。
彼によれば、本当に危機が迫っているのであれば、事実に基づいて不安になるべきで、「安心」なんて必要ないというのだ。「安全」をいかに高めるかという、事実に基づいた根拠のある議論だけをしようではないかと言っているのだ。

最近、組織開発の分野で、「心理的“安全”」(=サイコロジカル・セイフティ)という言葉がとても流行っている。Googleが使い始めて以来、生産性の高い組織の必要条件として、よく耳にするようになった。確かに岩田教授が言うように、安心という言葉は日本独自のものなのだろう。あくまで使われている言葉は「安全=セイフティ」だ。
しかし、岩田教授の話から、やはりこれは、「安心」ではなく、心理的「安全」という言葉でなければだめだということを、あらためて認識し直した。
目指すべきは、自分の気まぐれやわがまま、不安定な気持ちをそのまま受け止めてくれる、まるであたたかい家族の中にいるかのような「安心」できる職場ではないのだ。もしそう捉えていたとしたら、心理的安全を完全に誤解している。
心理的安全が確保された職場とは、対人関係において、リスクのある行動、例えば反論したり、疑問を投げかけたり、自分の弱みをさらけ出したりしても、信頼関係が崩れない職場だ。つまり、“安全”に「何でも言い合える関係」ということだ。ということは、自分が言えるだけでなく、他の人から反論もされる。耳の痛くなるようなこと、できれば聞きたくないことも指摘され、厳しいことだってズバズバ言われる。それでも信頼関係が揺らぐことなく、お互いにダメ出しもツッコミもできる。顔色を窺わずに、間違いを指摘できる関係、そしてより成果実現に向けて、忌憚なく意見交換していける関係ということだ。

確かに、自分がこれまでプレイしてきたサッカーのチームを思い返してみても、このような関係性を築けたチームが最も強かった。

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