コラム

2022.03.23(水) コラム

子育て体験記:パパ、我が家のDE&Iを振り返る(シニアコンサルタント齋藤正幸)

はじめに

 先日、弊社内でDE&Iに関するワークショップを行った。D(Diversity:多様性)とは、個々人のアイデンティティであり、ひいては、個々人のものの見方につながるものである。企業経営においては、性別や国籍、文化など、さまざまなバックグラウンドを持つ人が集まり、各々多様な価値観を有して仕事を一緒にするようになってきた為、社員の多様性を尊重することの重要性が高まっている。そして、ただ多様性を尊重するだけではなく、企業ではI(Inclusion:包括性)が必要になる。多様性を受け入れ、社員がその能力をフルに発揮できる環境を整備することで、初めて多様性が企業の競争力につながっていく。加えて、個々人の個性がフルに発揮できればウェルビーイングにも繋がるかもしれない。そこに、近年ではE(Equity:公平性)が必要だとされている。そもそも、米国ではマイノリティの社会構造的不平等の問題から、機会を平等に提供するだけでは解決できない不平等感が認識されてきた。その為、その不平等なスタート地点を認識し、不均衡を是正し、対処することで、出発点からの不公平を無くすことが必要と言う考えだ。社内ワークショップでも、不利な状況にいる人に、より多くのリソースや機会を与え、その状況から抜け出せるようにすることにより、公平性を保つことは、確かに重要であり、自分自身が、不利な状況にいる場合、組織の中で、この様に手を差し伸べてもらえることは本当にありがたいことだと感じた。

 DE&Iに関して、私が学んだことを上述の通り自分の理解として整理してみた。そして、改めて、企業だけでなく、持続可能な未来に向けて、学校も自治体も、そして家庭でも重要視する必要があると感じ、今回は、パパとして更なる成長の為に、我が家のDE&Iを下記3つの観点から振り返ることにした。

  1. Diversity:「子供達の多様性を尊重している?」
  2. Inclusion:「家族はみんな繋がっている?
  3. Equity:「公平に家族と接しているか?」

それでは、今回も、妻一人、娘二人(小学校1・3年生)そしてパパの5人家族の振り返りの旅にお付き合い頂ければと思う。

【Diversity】子供達の多様性を尊重している?:偏見パパ妖怪「どうせ」の悪夢

 まず、「多様性を尊重している」を、私は個々人のアイデンティティを認めることだと理解している。だからこそ、家庭でも、娘達を子供と言うよりは、一人の人間として接するように心掛けている(出来ている・出来ていないは別として・・・)。そして、妻ともベクトルを合わせて、「女の子だから」や「お姉ちゃんだから」というレッテルを張るような言い方は絶対にしないようにしている。こうあるべきという固定概念から子供たちの可能性の芽を潰したくない思いや、子供たちが他人を見る際に、表層的なレベルで固定概念を持ち、深層的なレベルを理解せずに、偏見や差別を無意識に行うような人間にならないように、パパとして普段の言動に気を付けている。そのお陰か、娘達は色々なものに興味を持ってトライしてくれているし、「男の子がやることだから、それはやらない」的な発言は今のところ娘達が言った事を聴いたことはない。ただ、私の母親(娘達にとってはバアバですね)などは、そんな娘達に「女の子なのに、そんなことして危ないよ」と当たり前のように言葉をかけてくる場面がある。もちろん、心配で言葉をかけてくれていることは重々承知なのだが、その深層を瞬時に理解できない私は「女の子とか関係ない!」と強めの口調でバアバに注意してしまう。それを見た娘達は、「バアバに優しくね」と、今度は私が注意されるのである。バアバの価値観や時代背景など深層的なレベルもしっかりと尊重しなければと娘達に気づかされるのである。

 娘達の個性を尊重する中で、親の持つ固定概念を娘達に押し付けていないか?と改めて心配になった・・・。いやはや押し付けまくっているパパがいる。固定概念ならまだしも偏見に近い考えを持って、娘達の可能性を、今度は、私自ら潰している可能性がある。例えば、長女が、まだ5歳(小学校入学前)の時にアクアビーズをやりたいと言ってきた。アクアビーズとは専用ボードに指定された色々なカラーのビーズを乗せて行くと、あるキャラクターや動物などが出来上がり、その上に水を垂らすことによってビーズが固まり、ドット絵柄のビーズ作品が出来るおもちゃである。私は、どうせ出来ないから、どうせ片付けもしないし、どうせパパやってーーってなるんでしょ・・・という考えが頭の中を覆う。偏見パパ妖怪「どうせ」の誕生である。結論を先に申し上げると、上述考えのもと私は買わなかったが、義弟が娘にアクアビーズをプレゼント。娘は、(多少のお手伝いは必要ではあるものの)問題なく作品をつくり、しっかりとお片付けも行った。義弟のお陰で、娘の可能性の芽を潰すことは無かったのである。そして、最近も同じ失敗が7歳の次女に対してもあった。100円ショップの手袋を使って人形を作りたいと言ってきた。それを聴いた私は偏見パパ妖怪「どうせ」になり「難しくてどうせ出来ないよ」・・・と。今回は、妻が娘と一緒に100円ショップに行き、必要な道具を買い、半日かけて一緒に人形を作成。ちょっと目が大きいけどかわいい熊の人形ができた。本人は大満足。そして裁縫に興味を持ったのか、クリスマスにはミシンの玩具(おもちゃではあるが本当に縫える)をリクエスト。ここまで振り返ると、私は猛省するしかない。否定的な評価を行い子供達の可能性を潰す偏見。個性を尊重しなければと言っておきながら、その個性を潰すような言動を行っていては本末転倒である。

 管理職研修では、受講生たちに、「部下を信頼し、フォローしながら、色々とチャレンジさせてあげて下さい!その機会を与えないと部下の成長が止まってしまいますよ」と強めに言っているが、家庭でのパパとしての言動は・・・と思うと、偏見パパ妖怪「どうせ」の悪夢である。  娘達の可能性を信じることがベースになって個性を尊重することは成り立っていることを、今回の振り返りから学んだ。そして、娘達の可能性をもっともっとポジティブに考えなければと感じた今日この頃である。

【 Inclusion】家族はみんな繋がっている?:ほめほめゲームで姉妹喧嘩を回避せよ

 インクルージョンとは1人ひとりが組織への帰属意識を持って、持てる力を十分に発揮できる環境になっているか。その様な環境下だと下記のような気持ちを社員は持てると言われている。

  • 自分は認められ、尊重されている
  • 同僚とのつながりがあり、仲間意識を持て
  • 持てる才能と活力を組織の成功のために存分に活用している
  • 組織の成功と共に自分も成長している

※抜粋「なぜダイバーシティだけでは不十分なのか

我が家の娘達は上述気持ちを持って日々を過ごしているのだろうか?組織を家族に置き換えて娘達への言動を振り返ってみた。

 まず、「自分は認められ、尊重されている」に関しては、上述で述べた通りパパとして猛省すべきところが多そうだ。実は、今朝も、妻に、「頭ごなしに注意しないで。まずは、子供の気持ちを聴いてあげて」とフィードバックを頂いたところである。不甲斐なし。

 「同僚とのつながりがあり、仲間意識を持てる」。これに関しては、私たち家族は仲良しだと思う。何かと言って家族みんなで楽しむことが多く、また、私も子供達と同じ趣味を持って一緒にやることが多い。例えば、テレビゲームも、娘と同じゲームを行いヒントや感想を言い合ったり、最近では、一緒に絵を描くことなども行っている(色鉛筆で、どれだけリアルに塗れるかを子供たちと競い合っている)。類似性の法則ではないが、同じ趣味や同じことを皆で行うことによってつながりを持つことは出来ていると思っている。

 一方で、姉妹間の仲間意識を振り返ると・・・喧嘩が絶えない。どちらも、姉妹と言うよりはライバルとしてお互いを見ているので、何かにつけていがみ合い、お互いの欠点を言い合う場面が多い。そこでポジティブな繋がりを持てるように最近始めたのが「ほめほめゲーム」である。お互いのいいところを伝え合うゲームである。例えば、お姉ちゃんが妹に「TV観ていて歯磨きが止まっている」「きっと○○は出来ないよ」「また、ランドセルが置きっぱなし」とネガティブな発言ばかり妹にする。そうすると、妹の反論・言い訳とともに喧嘩が始まる。そこで、「ほめほめゲーム」の開始である。お姉ちゃんに、「はい、今の行動に対して、妹のいいところを言ってみて」と促す。初めは「でも、いいところはないよ・・・」と言うので、「探せ!探せ!」と盛り上げると、「クラゲのテレビに集中しているね」とボソッとポジティブに変換することに成功した。「いいねーー!じゃー、次はお姉ちゃんのいいところは?」と妹に振る。「学校の支度が早い」ボソボソっと答える。「いいね!いいね!」と、こんな感じで喧嘩回避を試みている。ただ、上手くいく場合もあれば、「パパ、うるさい!」と失敗する場面も多々あることは付け加えておく。他人のいいところは、常にアンテナ立てないと見えてこないこと、そしていいところをしっかりと伝えることの重要性は子供たちに引き続き感じてもらえるように、今後も様々な工夫をしていきたいと思う。そして、それが姉妹喧嘩回避に繋がるのであれば、パパとしては幸せである。

 余談になるが、先日、小学校のオンライン授業参観に参加したところ、同じような感じで先生が「良いところ探し」と言って、発表者の良かったところに関して、生徒からポジティブコメントを沢山引き出していた。一方で「改善探し(ダメ出し)」は一切していなかった。 最後に、インクルージョンされている時の気持ちである「持てる才能と活力を組織(家族)の成功のために存分に活用している」「組織(家族)の成功と共に自分も成長している」に関してだが、まずは、「家族の成功って何だろう?」、その定義を明確にすることから始めなければと思っている。一言で言うと「皆、日々、幸せ」かどうかだと思うが、これに関しては、今後、妻や子供達と話してみたいと思っている。真のインクルージョンを目指す為の我が家の次なるアクションである。

【Equity】公平に家族と接しているか?:平等ではなく公平な家事分担とは

私は「公平」に家族と接しているか?この問いの答えはきっと「No」である。特に娘達には「平等」に接してきた感じがする。お姉ちゃんのやることに対して、妹は「私もやるーー!」と毎度の様に言ってくる。私も、ここで可能性を制限してはいけないと思うと、同じような機会を妹にも与えてしまう。逆に、どちらかだけに機会やモノを与えると、与えられない方がすぐに気づき「ずるい!ずるい!」と騒ぎ立てるのである(ここのアンテナの感度はびっくりするレベルである)。スタートラインが違うのだから、与える機会やモノも変えなければと思う反面、どうしても娘達の「ずるい!ずるい!」の圧に負けてしまう。公平に接することは意外と難しいと感じている中、なるほど!と、公平性へのヒントを得たのがスイミング教室である。娘達の通うスイミング教室では、まずは個々人の実力をチェックして、そのレベルにあったクラスで練習を始める。よくある風景ではあるが、改めて考えると公平である。水が怖い子は、それを克服するクラスから。平泳ぎが出来ない子は平泳ぎの練習クラスから。4泳法すべて出来る子達は各泳法のタイムを縮める為のクラスで練習を行う。平等に、「みんな!お水に顔つける練習をしましょう」とはならない。子供たちの実力を把握することが公平への第一歩であり、その次に、その実力にあったサポートを行う。もちろん、なぜそのサポートからなのか、その理由を子供たちに明確に伝えることも忘れずに行う。スイミングであれば、実力チェックを行っているので、その理由も明確である。一方で、娘達が通う野球教室は「平等」だと感じた。高学年と低学年で多少の練習方法は違うものの、基本は、皆で一緒に、キャッチボールの時間、バッティングの時間、ノックの時間など、一緒に行う。皆で一緒に行うことは、娘達にチームワークを学んでもらいたいパパからすると、とてもよい機会だと感じている。
一方で、「平等」から起こる弊害も目の当たりにした。例えば、バッティング練習の時間、バッター以外は、皆で守備を行う。まだ上手に打つことが出来ない低学年(娘達もここの部類にはいる)がバッティング練習をすると球はなかなか飛んで来ない、ましてや外野には殆ど球は来ない。守備についている高学年のメンバーにしてみたら、球が来ないので、守備練習にはならず、且つ、暇な時間になり、気づくと、高学年同士で、外野に集まり、時間つぶしの会話に花を咲かせている。つまり、平等に練習した結果、人によっては無駄な時間が発生してしまっている。しかし、皆で一緒にやっているからしょうがないよねの雰囲気。

この二つのスポーツの例を振り返り感じたことは、個々人のスタートラインや状況が違うからこそ、状況に応じて対応を変えられる仕組みが必要であり、特に子供の育成の面では、パパとして、娘達の個々の状況に応じて接して行くことが公平に繋がることだと感じた。スイミング教室の個々の能力に応じてクラスを変えている当たり前の様な風景から得た気づきである。ちなみに、私は、SLII®のマスタートレーナーとして、研修の中で、「個々人の目標やタスクに応じてリーダーシップ行動を変えて行きましょう」と伝え、その具体的ハウツーをお伝えしている。パパとして公平性を体現化できる近道として、このSLII®の考え方を家庭でも活用出来ると思った次第である。

Equity関して、もう一つ少し違う角度からの振り返りをしたいと思う。それは妻との家事分担である。コロナ前は、妻とは「平等」な役割分担で家庭を回していた。例えば、夕飯を作るのは妻、食器洗いはパパ。掃除機をかけたり夜洗濯をしたりするのはパパ、見えない家事と言われる学校や学童とのやり取りや書類作成はママ などなど。家庭でやることを、時短を取っている妻の仕事量を加味しながら、平等に役割分担していた。ただ、コロナ禍で妻が自宅でお仕事をするようになり、役割分担を固定することが難しくなった。妻は、未だ時短をとって仕事をしているはずが・・・職場でしか仕事が出来ないという物理的規制がはずれ、(且つ、大きなプロジェクトも始まったこともあり)時短なのに、バリバリ残業しているのである。遅い時には21時過ぎまで仕事をしている。余談ではあるが、「ママって時短だよね??職場のみんな、それ知っているよね?」と私が再確認することもしばしば。「あと一か月だけだから。ちょっとだけ我慢して・・・と言われているけど・・・」と妻。1年以上は、この「あと一か月」詐欺に私たち夫婦は騙され続けている(涙)(この状況に関しては妻の所属する組織のインクルージョンに課題があると思うが、今回は、一旦、横に置いておく)。仕事を頑張っている妻に、夕飯の時間だから、仕事の手を止めてご飯作って!とは言えないので、今までとは違う環境変化に対応すべく家事分担の固定化を止めた。妻の仕事量とその緊急性と、私の有するそれらを鑑みながら、その日のスタートライン(現状)を確認し、毎日、家事に関する役割分担を流動的に変えるようにした。「今日は、パパの方が仕事が少ないから夕飯や子供たちのお風呂、洗濯はやっておくね。」「今日、ママは、午後一の会議は無いから、ランチ食べにいったら、そのまま、夕飯の買い物に行くね。」など。子供たちを学校へ送り出した後、この様な会話を行い、家事や育児の負担を平等に担うというよりは、個々人の仕事の状況に応じて公平に担えるように話をしている。そんな状況だからこそ、最近では、今週もなんとか乗り切ったと、戦友として二人で晩酌し合うことが、週末の夫婦の楽しみとなっている。 どちらの例にせよ、公平性を保つ上で、まずは現状把握(「スイミングの実力」や「パパと妻の仕事量」など)することが、重要なファーストステップなのだと再び感じた。

最後に

 先日、NHKの番組でロシア皇帝ピョートル大帝の特集をしていた。ロシアを東方の辺境国家から帝国へ昇格させた彼は「ロシア近代化の父」と言われている。そんな彼の土台は少年時代に作り上げられた。少年時代から外国人村に頻繁に出入りし、ロシア以外の国の人達や当時のロシアにはない文化(特に西欧文化)に実際に触れ視野を広げていったと言われている。且つ、皇帝になったあとも、その好奇心と行動力はとどまらず、ヨーロッパ使節団にお忍びで参加し、船大工や兵隊訓練などに、皇帝にも拘わらず一兵卒として数か月間も参加し、実際に働いていた人物である。

 娘達にも同じように、私の持つ考え方や意見、日本の文化や習慣、だけでなく、色々な考え方や文化・習慣を体験してもらい、それらの興味から、様々な行動を起こし、それらの経験から自身のものの見方を広げて欲しいと願っている。その為には、パパとして出来る限り娘二人に公平な機会を与え、固定概念にとらわれず、深層的なレベルで人に興味を持ってもらえるような言動を私自身が娘達にしなければと改めて感じた。そして、家に帰ればいつでも繋がっていて皆がホッとするような空間を作り上げるように、これからも妻と一緒に協力して行きたいと思った・・・

 そう誓った最中、週末、スイミング教室から帰ってきた長女が「うーん、タイムが上がらない・・」とボソッと言ったのを聴いて、私は「そりゃー、他の人より努力が足りないんじゃない。」と何気なく即答。娘から、「見てないくせに!パパは、いつも見ないで決めつける!!!私だって努力しているよ!いっつもそーー!」。娘の言う通りである。まずは、思い込みや固定概念を捨てることから、私のパパとしてのDE&Iの旅は再出発しなければ・・・と強く思う。

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