コラム

2011.01.27(木) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 3:グローバルに活躍する人材を育てる(上)

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発(松村卓朗)】
第3回:グローバルに活躍する人材を育てる(上)

今回と次回にわたって、W杯を見ながら考えた「グローバルに活躍する人材」論を述べたい。

W杯は国同士の戦いだ。W杯では選手はナショナルチームに所属し、各国の代表選手としてプレイする。皆、国の代表という誇りを胸に戦う。しかし近年のW杯においては、「あの選手はこの国の選手だったんだ」と見ていて驚くことが本当に増えた。特に今回のW杯では、国籍という括りで括り直された選手の組み合わせに違和感が拭えなかったことが少なくなかった。例えば今大会の目玉とされたメッシ。シャビやイニエスタといったスペインの攻撃陣の先にメッシがいないのに慣れるのに時間を要した(メッシはアルゼンチン人だが、普段はスペインのバルセロナでプレイしている)。サッカーのグローバル化の進展度合いは、(私個人の感覚では)W杯における“違和感”で計れるものだ。
そういう意味では、サッカーの人材市場は最もグローバル化が進んでいる領域の一つだろうと思う。選手は、世界各地のクラブを絶え間なく移籍している。世界をリードするクラブチームは、実力本位で国籍に全く関係なく優れた選手を高値で獲得する。選手達は、W杯で活躍することで市場価値を高め、世界中のクラブに自らを売り込んでいく。かつては、地域のクラブで育ち、自国でずっと活躍していくものだったが、現在は、特にトップレベルのクラブの選手たちは、生まれ育った国・地域がどこであるかは全く関係ない、ということが常態化している。

日本代表選手たちも、W杯以後、大活躍した長友選手のイタリア移籍をはじめ、多くの選手が世界に活躍の場を移した。調べてみると、現在なんと120人の日本人が海外の29もの国のリーグで活躍している。ヨーロッパでは、ドイツやイタリア、イングランド、オランダだけでなく、ラトビア、ルーマニア、ハンガリー、ベラルーシなど、中南米では、メキシコやパラグアイ、グアテマラなど、アジアでもインド、インドネシア、タイ、シンガポール、韓国、香港などのリーグで日々戦っている。伝統国のみならず“新興国”にまでくまなく散らばっている様は、グローバル企業さながらだ。

このようなことを考えていて、学生の頃に読んだ「ワーク・オブ・ネーションズ」を思い出した。クリントン政権の主たる政策を描いたロバート・ライシュが書いた20年も前の本だが、この本によって私はグローバル化という言葉の意味をはじめて理解することができたし、私の職業観にも大きな影響を及ぼした。

 この本は、「21世紀の資本主義のイメージ」という副題がつけられていて、主旨は次のようなものだ。R&D・製造・マーケティング・アフターサービスといった様々な企業活動が、世界で最も便益が高いところに再配置されるようになった。これが、グローバル化の本質、つまり、これまでと今とを分けている決定的な点だ。企業や個人の国籍の重要性は、企業プロセスの再配置によって、どんどん薄れていく。そして、私たち一人一人のヒューマンキャピタルは、国籍に関係なく世界的競争に直接さらされていく。従って、国家の役割は、大きな企業を育てることや守ることではなく、国際的に競争力のある個人の育成にあり、それ以外にはない。また、我々ひとりひとりにとっても、自分自身に世界基準での競争力をつけることだけが生き残る術だ。真のジョブセキュリティは、大企業に就職することからではなく、他の人が真似のできない能力を習得して発揮することからしか得られない。

ところで、サッカーにおける世界基準での競争力とは何か。サッカーの世界でこのようなグローバルな市場において活躍するには、何が必要なのだろう。少なくとも、サッカーの資質や技術などの要素だけでは全く十分でないようだ。日本人で日本国外で活躍しているフットボーラー達は、一様に「メンタリティ」が決定的に重要だと説く。メンタリティとは、彼らが語る話や観察を元に想像を交えまとめてみると、(1)日本それから世界という二段構えではなく、「どこにいてもいきなり世界基準を判断基準にしているか」、(2)国境を越えるだけではなく、「どれだけ自分の枠を超えれるか」といったことのようだ。

(1)日本それから世界という二段構えではなく、「どこにいてもいきなり世界基準を判断基準にしているか」

世界で戦うには“日本それから世界”という二段構えではだめだ。W杯に出た選手達はそのことを肌で感じたと言っていた。日本の基準に慣れ親しんでしまっている体を、W杯の期間中だけ世界モードにすることはできないのだ。しかし、日本でJリーグを戦っている間も世界基準を意識してプレイするというのは、たやすいことではないはずだ。まず世界基準を知らなければならない。そして、それを自分の判断基準として取り入れ、たとえ日本にいたとしても常に意識し続けなければならない。
世界基準を知るには、海外に出るのが手っ取り早いだろう。しかしこれまでの日本のサッカー関係者の多くは「日本それから世界」という二段構えの発想が強いようで、これが海外進出を阻んできた要因の1つだったと指摘する人も少なくない。私が好きな選手の一人で、現在ギリシャのリーグでプレイする小林大悟という選手がいる。大宮アルディージャにいた頃、海外行きを相談した相手は誰もが、「日本でちゃんと試合に出て、代表に選ばれて、それから行くべきだ」という答えを返してきたと言う。でも、本人としては、そのような感覚は日本人特有だろうと語る。今彼がいるのはギリシャのテッサノニキ。多くの日本人から「どうしてそんなところで」と言われるようだが、彼の意識からすれば、極東の島国にいる方がよっぽど「どうしてそんなところで」という感覚だと言う。
世界基準を知るだけではなく、常に意識し続けるというのは、日本代表選手にとっても、さらに難しいことだったようだ。私が興味深いと思うのは、最近の日本代表は、技術面では世界の基準に達している選手が多いが、しかし、意識が足りないのでなかなか成果が出なかったという点だ。実際W杯前の日本代表は、世界基準を意識しながらプレイできる選手が少なかったという。日本を世界で戦えるチームにした最大の要因は、W杯直前にイングランドやコートジボワール代表とテストマッチを行ったことだと岡田前監督は語っていた。それまで、「ボールにもっと詰めろ」といくら指示しても国内仕様の甘い詰めが直らなかったのが、試合で選手達は一気に肌で感じ、ハーフタイムには「今のままのやり方ではまずい」というやりとりが自然と起こったと言う。世界基準の技術は持っていても、世界基準を知っていても、意識が足りないので世界基準のプレイができなかった。意識できるきっかけが本番直前にあって、修正ができたのでW杯では勝てた、というのが私の見方だ。
“日本それから世界”という二段構えではなく、“どこにいてもいきなり世界基準”という意識は、かつての中田英寿選手から強烈に感じていた。20歳で日本代表の中心としてW杯に出場し、その後移籍したイタリアでも大活躍を見せた。成功の鍵は何だったのか。足の速さや、高さがあるわけでない。ドリブルで華麗なフェイントをかけれるわけでもない。テクニックそのものは特段優れているわけでもない。日本人の中には技術的にはもっと上の選手はいくらでもいて、本人も代表の中では下手な方だったと語っている。
ただ、中田がやっていたことは、極めて単純だがゴールに直結するプレイだった。例えば、味方からボールを受けるときの、できるだけ相手ゴールを向いて最短距離でボールを運べる態勢。あるいは、敵陣深く鋭く抉り、味方も追いつくか追いつかないかのぎりぎりのキラーパス。これらはおそらく、上手でなくとも世界で通用するためにはどうすればいいかを考え抜いた末に、選び取り、磨き上げたプレイだ。そしてこれが最も重要なことだと思うのだが、日本にいるうちから、世界の強豪が相手でも、格下が相手でも、どんなときにも常に同じようにプレイしようとしていた。「ここは日本だからこのレベル」「この相手だからこの水準」という態度は絶対にとらず、どんな試合であっても、「いきなり世界」の基準に照らし合わせて変わらずプレイしていた。格下相手の試合では、中田よりも他の選手の方が目立っていたこともあったが、相手が世界の強豪レベルになったときに、違いは顕著だった。日本それから世界という二段構えを、どのような場合でも決してとらなかった。このメンタリティそのものが、今思うに、彼を世界での成功に導いた決定的な要因だったと思う。
グローバルな競争に個人がさらされていく中で、我々は、自分が持つどのスキルや資質ならば日本以外で通用するだろうか、通用させるためにはどのように磨けばよいかを、徹底的に考え抜けているだろうか。そもそも、自分が世界で通用するスキルや資質や語学力を持っていないからといって落ち込んだりする前に、メンタリティを持っているだろうか。
日経新聞なんか読んでいるから、日本それから世界というメンタリティができてしまうとある人に言われた。この人は私が社会人になったときに日経を読めと言った人なのだが。

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 2:「チームとして力を発揮する」とは
サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 4:グローバルに活躍する人材を育てる(下)