コラム

2016.05.06(金) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 53:ナショナリズムを煽る存在のサッカーを通じて、戦争防止のためにできることを考える

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発(松村卓朗)】
第53回 ナショナリズムを煽る存在のサッカーを通じて、戦争防止のためにできることを考える~『ぼくたちは戦場で育った ~サラエボ1992─1995~』の翻訳本出版イベントに参加して~

先日、JEN(国際緊急支援の特定非営利法人)の代表の木山啓子さんに誘っていただき、『ぼくたちは戦場で育った(集英社)』という本の日本語翻訳版の出版記念イベントに行ってきた。

「サッカー好きが集まるよ」という触れ込みに釣られて(実際、イベントの後の飲み会で一緒したら、著者も翻訳者も大のサッカー好きだった)、私はよく分からないまま参加したのだが、色々と衝撃を受けて帰ってきた。

この本は、第二次世界大戦後のヨーロッパにおける最悪の戦争と呼ばれたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の終結から20年が経ち、今や30代前後の年齢になっている戦時下のサラエボ育ちの人々から160字以内で体験談を募り、一冊にまとめたものだ。例えば以下のような体験談が並ぶ。
ー「戦争中に子どもでいるってことは、つまり、学校に好きな子がいて、その子が迫撃弾で殺されるってことだよ」ヤセンコ(男性)1977年生まれ

ー「戦争の思い出――おもちゃの代わりに、銃弾を集めて遊んだこと!」ザナ(女性)1987年生まれ

ー「ニンジャ・タートルズの大ファンで、ミケランジェロがピザを食べているのをしょっちゅう見ながら、ピザって何!?て思ってた」アミラ(女性)1989年生まれ

自身も戦場のサラエボで生まれ育った著者のヤスミンコ・ハリロビッチ氏は、「読者が惹きつけられて、かつ記録に値するような情報が入っていて、そして自分たちの世代が使い慣れた長さの文章で、より多くの人の声を集めようという試みだった。結果的に千人あまりの声が集まり、一つの戦争に対する様々な視点を統合することができたのではないかと思う。」と語っていた。実際千人の声にざっと目を通してみると、あまりに強烈で目が留まってしまうものもあれば、ユニークで、戦時中でも子供は無邪気だなとつい微笑んでしまうものもある。

街に住んでいる人たちが標的にされる戦争というのは、極めて特殊なものだと思う。ただ、ヤスミンコ氏は、その特殊さを伝えたいのではなくて、「いかにみんなにとってあり得ることなのか」ということこそ、伝えたかったと言う。戦争が起こるなんて思ってもいないまま、いつの間にか戦争に突入してしまうことがあるかもしれないということなのだ。

イベントでは、ヤスミンコ氏に加え、日本語版の翻訳に携わった2人の方も壇上に上がり、この本の意義や内容について語った。この本は翻訳者が大変ユニークで、1人はベストセラー小説家の角田光代氏で、そしてもう1人は、オシム元サッカー日本代表監督の通訳だった千田善氏だ。

角田光代氏は、「この本は子供の声なので大義名分や歴史的客観事実ではなくて、内側から、“戦争はこんなに怖いものなんだ”と生々しく叫んでいる、まずはそんな印象を受けた。事実を理解することも大事だが、それと同時に生きていた人のリアルな声を伝えたことで、すごく重要な本だと思う。」といったことを語っていた。

一方千田善氏の話では、「なぜ戦争が起きたか」について、そのメカニズムについて語った内容が大変印象に残った。
周知のように、かつてユーゴスラビア連邦は、いくつもの民族から成り立っていた。民族が複数あったこと自体は平和の妨げではなく、事実、チトー大統領時代は、いくつもの民族が融和しながら1つの国家として平和に運営されていた。彼は独裁者だったがカリスマ性もあり、みんなから愛される存在だった。しかし、一度深刻な経済危機に陥ると、政治不信が高まる。政治家が選挙運動で「みなさんの生活を良くします」と言っても誰も信じない。そんなとき、一番分かりやすかったのが民族主義だ。つまり、“我が民族は被害者だ。我々の生活が苦しいのはあいつらのせいだ。あいつらのために我々は不幸な生活を強いられている”という論理で煽り煽られる。そうやって戦争が始まった。
経済の悪化自体は、きっかけであって戦争の原因ではない。あくまでも民族主義、ナショナリズムと結びついて、戦争につながるのだ。このメカニズムは、歴史的事実や現代社会の構図の中でも数多く見られる。

さて、今回の稿は、サッカーを通じて戦争防止のために何ができるかを考える、がテーマだ。困った。防止どころか、原因になる側だ。
皮肉なことに、国や民族を愛する気持ち、つまりナショナリズムが戦争を生むのだ。ナショナリズムは、自分が帰属する集団を大事に思う気持ちだから、ごく自然なものだ。そして、サッカーは、W杯がそうであるように、大いにナショナリズムを煽る存在だ。従って、サッカーを愛する人達は、本来この問題には、大いに真剣に考え、悩まなければいけないはずだ。

集団への帰属意識が高まると、「自分が属するグループの方がそうでないグループよりも優れている」と認識するようになることが、様々な実証実験から明らかになっている。そして、2つの集団を競わせる環境に置くと、自分が属すのでない方の集団に対して敵対心を抱き、紛争を生じさせてしまうのだ。残念ながらこれは人間の性であり、脳科学的にも脳にプログラムされているということで、どうしようもないことだ。

例えば、次のような実験結果を聞いたことがある。白人の少年で構成する2つの集団を近くの場所でキャンプをさせた。最初の1週間はそれぞれの存在を知らせずに過ごさせる。次の週に、偶然を装って両集団を引き合わせた。その後、ゲームをして競わせ、お互いの対抗心を煽るように仕向けた。その後、両集団の親睦を図るため、食事を一緒に作って食べたり、花火等のイベントを催したが、結果は親睦どころではなかった。相手の集団が使うキッチンにゴミを捨てたり、殴り合いのけんかを始めたり、相手の集団の旗を燃やしたり、まるで戦争が勃発したかのような行動が見られたというのだ。たった3週間のことで、お互い、何の怨恨もないのに。

紛争を防止できる術はないのだろうか。いやこの実験では、1つだけあったという。「皆で解く問題を提示する」ことだ。

食事も花火大会も友好的な関係作りに効果はなく、むしろ紛争が勃発する原因となってしまったのだが、お互いが協力しないと解決できない課題を課したところ関係の改善がみられたというのだ。具体的には、例えばキャンプ場の水道管を壊す。一方の集団が上流で水を止めていないと、もう一方の集団が下流で修理作業できない状況を作る。集団が協力して復旧に当たらないと、1つのグループだけではどうすることもできない状況を作ったところ、困難を克服すべく、互いに敵愾心を持った2つの集団が、協力し合ったというのだ。

これは、国と国の関係に置き換えると、共通の敵に対処するということではなく、例えば自然災害やパンデミックへの対処で協力することが関係改善を促す可能性があるということだ。
世界には、解くべき社会課題が山積みだ。貧困、資源不足、公害、天災、教育、福祉、等々。問題があること自体は憂うべきことだが、しかし、こうして地球規模の社会問題がたくさんあることに目を向けることによって、平和を導き維持できる可能性が大いにあることに気づいて、私はとても晴れ晴れとした気持ちになってきた。

最後に、サッカー自体が戦争防止のためにできることは、「ナショナリズムを健全に煽る」ということだろうか。
「僕がこんなにサッカーが好きなように、そして自国のサッカーを愛しているように、その国の人達やその民族の子供達もサッカーを愛し、そして自国や自民族のサッカーを愛しているのだろうな。」という気持ちを育むことが、健全なナショナリズムだろう。健全な想像力を育むことがとても大切だ。

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