コラム

2018.04.02(月) コラム

サッカーから学ぶ組織開発・人材開発 71:上手くないのに本気で日本代表入りを目指すサッカー選手

【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発(松村卓朗)】
第71回 上手くないのに本気で日本代表入りを目指すサッカー選手~何が何でも諦めない「丸山龍也」選手から学ぶ、不可能を可能にするキャリア形成の極意~

冬季オリンピックとパラリンピックが終わり、いよいよ今年の次の大きなイベントは、ロシアで開催されるサッカーのW杯となった。
W杯を3ヵ月後に控えた日本代表チームは、W杯を想定したここ最近の練習試合で苦戦していた。W杯メンバーへの選出が確実視されるほどに活躍できた選手は皆無だし、チームとしての完成度は極めて低いようだ。従って、誰が最終選考に残ってロシアW杯に行けるのかは、全く分からない状況だ。ハリルホジッチ監督も、まだまだW杯直前まで、選手達を競争させるつもりでいるようで、選手にとっては所属チームで結果を出し続けるしかない緊張感に包まれた日々が続く。

ところで皆さんは、丸山龍也というサッカー選手を知っているだろうか。本気でこのW杯の日本代表入りを目指すと言うサッカー選手の一人だ。しかし、その存在を知る人はほとんどいないし、日本代表監督も日本サッカー協会も、彼のことは全くノーマークだろう。
しかし、彼は曲がりなりにもサッカーの「プロ」選手だ。本人曰く、運動神経も悪く、才能もなく、サッカーもずっと下手だったと言う。それでも、プロ選手になった。22歳の時に、FIFAランク最下位に近いスリランカまで辿り着いてプロになった。プロだから今、W杯に出れる可能性はわずかでもある。もちろん限りなく可能性は低いが、少なくとも、私(や多くのアマチュアプレイヤー達)よりはある。先日あるテレビ番組でこの人の存在を知って、あまりにも興味深いと思ったので、少し調べてみたくなった。

まず、この人の諦めの悪さはものすごい。何せ、「サッカー選手としてのあなたの強みは何か」と聞かれてインタビューで答えたことが奮っている。
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「辞めない」ということですね。何があってもサッカーを辞めなかったからこそ、下手な自分にもチャンスが巡ってきたと思います。やっぱり同じような壁にぶつかった時、途中でサッカーを辞めていく人の方が多いです。僕の場合は、日本がダメで、ベトナムに行ってテストを受けてもダメで、タイ3部の10チームくらいからも「要らない」と言われてきましたが、それでも続けてきました。大きな怪我をしても続けてきましたし、才能がないと分かっていても続けてきました。ですので、しいて挙げるなら「辞めない」ことが強みなんじゃないかと思います。シンプルな事ですけど、これは意外と誰でもできることではないと感じています。小学校の時に一緒にサッカーをしていた仲間で今もサッカーを続けているのは僕だけなんですよね。面白くなくて辞めたり、大学に入って辞めたり、入団テストで落ちて辞めたり、辞められる場面っていくらでもあるんですが、いかにそこで粘られるか。小さい頃から僕より上手い選手はいくらでもいた中で、なんとか続けてきたからこそ、競争相手がどんどん減っていったような気がします。
(出所:「“大学に行く方がリスク”。2018年サッカーW杯からの逆算」)
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彼が話す彼の人生の話は、あまりにも破天荒に聞こえる。上手くないのにサッカーでプロになりたい、絶対になりたいと思っていたから、普通の高校へも行かなかったと言う。通信制高校生のとき、日本ではとてもプロになれるレベルではなかったが、どうしてもプロになりたいと思っていたから、ベトナム1部リーグのトライアウトを受けたと言う。どのチームからも落とされたが、それでも『ベトナムの1部ならレベルはこれくらいか。これならプロになれる』という考えを明確に持つことが出来たと言う。
高校卒業後、当時Jリーグ入りを目指していたアンソメット岩手・八幡平に入部する。プロではないが、食事や住居は提供される環境にあったと言う。
その後、22歳の時にスリランカまで辿り着いて、本当にプロ契約を結ぶ。(スリランカは、彼がプロになった2014年時点でFIFAランク197位だ。)スリランカでプレイして、『プロになるだけなら大したことない』と思えるようになったことは大きいと言う。そして、W杯に向けた、次のステージを見据えるようになる。
その後、2015年からは欧州に活躍の場所を求め、リトアニア2部のチームでもプレイした。W杯への道のりは、ヨーロッパに行って、スリランカにいた時のぼやけた感覚より“クリアになった”と語る。スリランカでプロになった時は、W杯は『頑張れば、いつか行ける』『人間に不可能はない』という感覚だったと言うが、ヨーロッパでプレイしていると、たくさんの壁を感じつつも、ほんの少しだけだが可能性が見えてきたという感覚にまで昇華できたと言うのだ。(ただ、残念ながら、2018年3月現在時点、26歳の彼に所属チームはないようだが。)

彼の話を聞いていると、キャリア形成の「デザイン&ドリフト」という考え方を思い出す。
これは、神戸大学大学院の金井壽宏教授が提唱するキャリア理論で、職業人生はキャリアのデザインとドリフトの繰り返しであると考えられるというものだ。
ドリフトとは、「漂流する」という意味だ。自分のキャリアについて大きな方向づけさえできていれば、人生の節目ごとに次のステップをしっかりとデザインするだけでいい、節目と節目の間は偶然の出会いや予期せぬ出来事をチャンスとして柔軟に受け止めるために、あえて状況に“流されるまま”でいることも必要だという考え方を言う。そんな先までの道程は分からないから、20年も30年も先のことはデザインできない。だからこそ、数年に1回くらい自分に訪れる節目のときくらいは、しっかりデザインすべきだという考え方でもある。節目でさえデザインしなかったら、ずっと流されたままになってしまう。
節目だけでもデザインして、不確実な中にも大きな方向感覚や夢を持っていれば、あえて流されてみた方が、“思わぬ掘り出し物”にも出会えるかもしれないという考え方だ。
丸山選手のキャリア形成は、確かに異端だ。しかし、不確実な中にも大きな方向感覚や夢だけは絶対にブラさずにきている。節目に到達したら、次のキャリアの方向性を具体的に設定するということを繰り返している。そして、流される。そうすると、どこからか、W杯にほんのわずかにでも近づくチャンスにつながる機会が訪れる。

ところで、私自身の目下の関心時は、「日本サッカーはいかにすれば強くなるか」だが、この点に関しても、丸山龍也選手のコメントは興味深かった。
「日本のサッカーの問題点はどのようなところにあると思うか」と問われ、次のように答えていた。「僕みたいな人間が注目されること自体が問題だと思いますね。こんなやつ、ブラジルに行ったら山ほどいるわけですから。だからこういう選手がもっと出てきて、僕が霞んで見えなくなるようになれば、その頃には日本も強くなっているんじゃないですか。」
(出所:「異国の地でサッカー選手になった二人」)
要するに、サッカーが下手くそでも絶対にプロになるんだという意志を持って、本当にそんなキャリアを形成していく人の多さが、一つのバロメーターということか。確かに日本では、そんな考えができる人は極めて少ないだろう。

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